ボブおじさん

バットマン リターンズのボブおじさんのレビュー・感想・評価

バットマン リターンズ(1992年製作の映画)
4.2
この映画をクリスマス映画として見る人は少ないかもしれない。一般的には奇才ティム・バートンによるアクション・ダークファンタジーとして語られることが多い本作だが、これは紛れもなく3人のフリークス(奇人)の孤独なクリスマスを描いた哀しき物語なのだ。

前作のヴィランであるジョーカーが紫色や緑色といったケバケバしい色彩に身を包んでいるのに対して、本作の怪人たちは皆同じような色彩で揃えられて、同類であることが強調されている。

ご存知の様に、この映画の主役はバットマンでなくダニー・デヴィート扮するペンギンだ。クリスマスの夜に醜い姿で生まれ両親から捨てられた彼は、誰からも愛されずに下水道の中でペンギンに育てられ大人になる。

その不幸な生い立ちと醜い容姿から心に大きなコンプレックスを抱いたペンギンは、人に愛されたい・認められたいという承認欲求が膨れ上がり、自分の不幸を利用して市長選に立候補する。

〝蔑みの視線〟の中で、身を潜めて生きてきた彼を野望にとり憑かれた怪人ペンギンにしたのは、世間の偏見と思い込みだ。いつしか彼の中に、復讐心が生まれたとしてもなんの不思議も無いだろう。

一方のキャットウーマンの誕生も悲劇的だ。コーヒーをいれる事だけが取り柄のうだつの上がらない地味な秘書セリーナ・カイルが上司の秘密を知って窓から突き落とされ殺される。明らかに社会的弱者である彼女は、野良猫たちに9つの命をもらいキャットウーマンとして復活する。

心に秘めた思いを押し殺しながら日常を生きてきた彼女は、自分の正体をひた隠すバットマンにシンパシーを感じる。仮装舞踏会にセリーナとブルースだけが素顔で出席するのは、それが彼らの仮装だからだろう。

ブルースは彼女を愛し〝僕たちは似ている、人格が2つに引き裂かれている〟と言う。もちろん2人とも仮面を付けた時が、本当の自分だ。彼女もブルースを愛すが、自分を殺した人物への復讐を諦めらない。

だが彼女が復讐するのは、個人的な遺恨だけでなく女性はこうあるべきという世の中の偏見そのものだ。女性を色眼鏡で見る男たちに対して全身黒を纏った姿で、復讐を企てる様は異性でありながら共感すら覚える。

おそらくティム・バートンは、この話を受けた時から主人公はバットマンではなくペンギンにすると決めていたのだろう。それは、彼のフィルモグラフィを見れば、容易に察しがつく。

日の当たらぬ者、疎外される者、異形の者に対する慈しみとその後に訪れる悲劇。それは紛れもなくティム・バートンの世界であった。

ペンギンがバットマンに言い放つ〝お前は偽物だ〟のひと言は、ペンギンの口を借りてバートン自身が言った痛烈な皮肉だ。仮面を被り・モビルスーツに身を固め自分の姿を偽る金持ち男を主役の座から引きずり下ろす渾身の一撃だ‼︎

他に生きる道もなくダークサイドを迷いもなく進むペンギンに対して、2つの顔の間で揺れ動く文字通りの〝コウモリ男〟の存在感の薄いことよ。

怪人の過去を描くことで、善と悪が渾然となり混乱する人もいるかもしれない。だが、この映画には、もうひとり〝真の怪人〟と呼ぶべきヴィランがいる。

クリストファー・ウォーケン扮する実業家マックス・シュレックである。表向きにはサンタ・クロースに喩えられるほどの街の名士だが、その正体は、哀れなセリーナ・カイルをビルの窓から突き落とし、ペンギンを市長に推して街を牛耳ろうとする悪党である。

表向きの顔に惑わされ、外見や性別で先入観を抱く。何もそれはゴッサム・シティに限ったことではない。本当に悪い奴はサンタの顔をして近づいてくる。クリスマスに見るにはやはり相応しくない映画だろうか?


〈余談ですが〉
マックス・シュレックと聞いてピンとくる方は、相当な映画通だろう。世界最初の吸血鬼映画にしてホラー映画史上に神格化された怪作「吸血鬼ノスフェラトゥ」でスキンヘッドでやせこけた不死の伯爵を演じた俳優の名が他ならぬマックス・シュレックだ。

つまりバートンは、この取っておきのヴィランの為に、伝説的な怪物の代名詞の様な名前をつけたのだ。

ティム・バートンと言えば無類の怪奇映画好きとして有名だが、この映画には、もう1人、かつての怪奇映画俳優が出演している。

ブルース・ウェインの執事アルフレッドを演じるマイケル・ガフである。彼はティム・バートン作品の常連だが、その昔は怪奇映画俳優でもあったのだ。おそらくバートンが子供の頃、ガフが出ていた怪奇映画を数多く見ていたのだろう。

バートンは自分の父親とあまりうまくいってなかったらしい。もしかしたら映画の中のアルフレッドに、自分の理想の父親を重ねていたのかもしれない。