このレビューはネタバレを含みます
小学校で同じクラスだった知的障害の子に、何年も昔の適当な日付を伝えると、その「曜日」を瞬時に答えられるという特技があったんだよ。
あれ、まさにレイモンドと同じサヴァン症候群だったんじゃないか。
一家はそれぞれが孤立してたんだね。
でも本心ではみんな繋がりたかった。
序盤のチャーリーの胸クソ感ったらなかなかのものだったけどw、孤独だから必要以上に強く出る。誰にも負けないように人を寄せ付けなくなる。
自分は彼と属性こそ違うけれど、その感覚だけはなんとなく理解できる気がするんだ。
そんなチャーリーが自然に変わっていく様子には、やっぱり胸を打たれてしまったな。
シロップの冗談でじゃれ合うふたりがたまらん。
それでも最後は非常に現実的な展開として、チャーリーとレイモンドは引き離されることになる。
ここで「連れて帰りたい」「一緒にいたい」という気持ちよりも、質問責めにされるレイモンドを救うことを優先して、「もういい」と止めるチャーリーが抜群に良かった。
兄との再会以前の、自分の欲や敗北感を受け入れられなかったチャーリーとは真逆。
それらを全部飲み込んで、
(連れて帰りたいけど自分が会いに行けばいい)
(金なんかどうでもいい、負けることなんてどうでもいい)
とばかりに、レイモンドの幸せのみを考えた行動を取ることができたチャーリーに、序盤の嫌な奴の中に実は存在していた綺麗な何かを見ることができた気がする。
チャーリーも本来であれば、こうやって生きてこられたのかもしれないよね。
愛し方も愛され方も知らなかっただけで。
記憶の片隅の兄(レインマン)の姿がおぼろげに甦ってきた時に、彼から受けた愛や優しさをふわっと感じたんじゃないかと思う。
「C・H・A・R・L・I・E
僕の親友(メインマン)」
レイモンドはレインマンで、チャーリーはメインマンになった。
家族はいないと信じて疑わなかったチャーリーにとって、この言葉だけで生きていけるほどに嬉しかったはずだよね。
そして、これはチャーリーを幸せにしただけではなくて、彼がレイモンドを幸せにできたことも表していると思う。
繰り返すだけの日々をようやく上書きすることができたのだから。
愛を理解したチャーリーならスザンナともうまくやっていけるでしょう。
結果的にふたりを結びつけたのは、父親の大切にしていた車だったわけだよ。
父親は「叶うはずはない」と思いつつも、ふたりのこんな姿を望んで、チャーリーに車を託したのかもしれないなぁ……なんて考えてしまった。
それにしても、アメリカンニューシネマの頃から、難しくて独特でちょっと笑える役どころが抜群に巧い役者さんだったけど、どこまでいってもダスティン・ホフマンは名優だなぁ。