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八つ墓村のsowhatのネタバレレビュー・内容・結末

八つ墓村(1977年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

一番恐ろしいのは罪のない顔をした井川父兄とその他大勢の村民たち

【舞台】
島根県との県境に近い、岡山県北部の山村。
村ではスサノオノミコトの八岐大蛇退治の神楽を、祭りの際に奉納する慣わしがある。

【発端】
1566年、毛利との戦いで敗走した尼子氏の武将、尼子義孝(義久の架空の弟)と生き延びた郎党たち合わせて8名が、現在の岡山県のとある山村の片隅に住み着く。
毛利は彼らの首に莫大な報奨金をかけて落武者狩りを励行している。

【第1の惨劇(8人殺し)】
村人たちは村祭りに尼子の落武者8名をご招待、酒に酔わせた上で、落武者全員を寄ってたかって惨殺する。
犯人:村総代4人を中心とした、全村人が加担。
総代の中でも最も若かった多治見庄左衛門が首謀者として、毛利から広大な山の所有権を与えられる。
動機:毛利の詮索への恐怖と報奨金欲しさ

【第2の惨劇(7人+自分)】
多治見庄左衛門はその後突然発狂し、村人7人を斬殺した後、自分の首を斬り飛ばして自害。
犯人:多治見庄左衛門
動機:不明(尼子義孝の祟り?)

【第3の惨劇(32人殺し)】
多治見庄左衛門の後裔、多治見要蔵は妻と二人の子(久弥、春代)と共に生活しているが、
近隣井川家の若い女性、井川鶴子を誘拐し、離れの座敷牢に監禁。
1947年(S22)鶴子に次男、辰弥を産ませる。
辰弥が自分の子ではないことに気づき、母子を虐待。
1949年(S24)鶴子が辰弥を連れて出奔。
その数日後に要蔵は妻を斬殺、村人32人を日本刀と猟銃で虐殺し失踪。
村総代だった3つの家系は途絶え、残りは多治見家だけとなる。
犯人:多治見要蔵
動機:不明(尼子義孝の祟り?)

【第4の惨劇(8人+自分)】
1 井川丑松(毒殺)
2 多治見久弥(毒殺)
3 工藤校長(毒殺)
4 濃茶の尼(?)
5 多治見小梅(絞殺)
6 久野恒三郎医師(?)
7 多治見春代(刺殺)
8 森美也子(崩落事故)
9 多治見小竹(コウモリ軍団に襲われ焼死)

犯人:森美也子
尼子義孝の末裔。
八つ墓村で多治見家と並び立つ森家の嫡男、荘吉の弟である達雄に嫁入り。
7年前に達雄が飲酒後交通事故で死亡したため、現在は未亡人。
関西で手広く事業を行なっているが資金繰りが厳しく、多治見家の財産に目を付け、多治見久弥、久野恒三郎の排除を目論む。
祟りを演出するため無関係の者まで巻き込むが、結果的に多治見本家の断絶に成功する。

表層的動機:多治見家の財産目当て
深層的動機:尼子義孝の怨念に操られ、多治見本家の断絶に成功


【不可解ポイント、その1】
多治見庄左衛門の犯行動機はなんだったのか。
尼子義孝の祟りによる発狂か。

【不可解ポイント、その2】
多治見要蔵の犯行動機はなんだったのか。
誘拐監禁した鶴子に逃げられたからといって、罪のない妻と村人を虐殺する理由にはならない。
尼子義孝の祟りによる発狂か。

上記2件がもし尼子義孝の祟りによる発狂だったとすれば、もっと初期に総代4家を全て発狂絶滅に追い込めたのではないでしょうか。

【不可解ポイント、その3】
井川鶴子の行動。
なぜもっと早く要蔵から逃げ出さなかったのか。

【不可解ポイント、その4】
井川父兄の行動。
なぜ鶴子救出に動かなかったのか。
自分の娘が拉致監禁されたと言うのに、救出に行くどころか、100日参りの姿を遠くから生暖かく見守る父。
さらに多治見のお使いとして、はるばる大阪まで辰弥を迎えに出向く人の良さは不可解。

【不可解ポイント、その5】
亀井陽一の行動。
尼子義孝の重臣亀井茲矩の末裔で、隣町の小学校教師。
恋人は郵便局に勤務していた井川鶴子。
鶴子は多治見要蔵に無理やり手込めにされ、その後拉致監禁されてしまうが、陽一は鶴子を救い出すどころか、地下の洞窟の中で密会を重ね、鶴子を妊娠させる。
鶴子と子供はそれが元で要蔵に虐待され、要蔵は発狂する。
その後陽一は鶴子と子供の前から姿を消し、実業家として成功、現在東京都杉並区に在住。

鶴子の本当の絶望は、要蔵の暴力よりも、井川父兄と恋人亀井陽一、3人の男たちの無力によってもたらされたのではないでしょうか。
要蔵の暴力に抗えない自分の無力さ、自分を救ってくれるはずの男たちのあまりの無力さに、鶴子は絶望したのではないのでしょうか。
本作には悪い奴が沢山出てきますが、一番罪深いのは鶴子の魂を殺してしまった父、兄、恋人なのではないでしょうか。

【不可解ポイント、その6】
「理性代表」であるはずの金田一さんが率先して関係者の祖先を調べ上げ、「尼子義孝の祟り説」を唱えてしまう。理性があっけなく敗北。

【不可解ポイント、その7】
そもそも祟りとは、抑圧された弱者が死して後、強者に復習を図るもの。
強者であった武士が弱者である農民に祟るとはどうなのか。
八岐大蛇退治の神楽にも描かれたように、酒を飲ませて殺すのは日本神話伝統のやり口。
殺した方が英雄で、殺された方が悪者のはず。
しかも、「卑怯」というのはそもそも武士が武士に言う言葉で、武装していない農民に卑怯という概念は当てはまらない。
ご招待に誘われノコノコ出かけて行って、まんまと罠にかかったのは武士として油断であり恥であるはず。
それを恨んで農民どもへ祟るとは何事か。
そもそも祟るのなら毛利家では。
農民たちの選択は自分たちが生き延びるためであり、仕方ない。
落武者狩りをいちいち祟られていたらたまらない。
勝手に名と家紋を使われた尼子義久は、草葉の陰で怒っているのでは。

以上の不可解ポイントのせいで、この物語はただただ不可解、ただただ不気味で、感情を揺さぶられることはありません。

【不可解ポイント、その8】
寺田辰弥:S22年、亀井陽一と鶴子の子として出生。
母の過去も実の父の存在を知らないままに、多治見家の跡取りとして連れ戻される。
血縁がないことは多治見家のみなさんは承知済み。

濃茶の尼にいきなり「人殺し」と罵られ、それを信じた村民たちに連続殺人の犯人に祭り上げられる。

本作で一番恐ろしいのは、村民たちです。
なんの根拠もない老婆の言葉に唆され、辰弥を殺そうと村民みんなが暴走します。
タガが外れたように一旦暴走を始めた村民の群れは、もう誰にも止められません。
理性も法もへったくれもありません。
尼子義孝一党をみんなで虐殺した頃から、なんら進歩していないようです。
よってたかって辰弥を虐殺し、八つ墓の隣に、九つ目の墓を立てたりして、今度は辰弥の怨念に呪われたらよかったのに…。
「続・八つ墓村」を作ったらよかったのに。

第1の惨劇を計画した総代4家は家系断絶となりましたが、そもそも他の村民全員も加担していたはずであり、多治見ばかりに責任を押し付け自分たちは無実のような顔をすること自体、おそろしい話です。

一番恐ろしいのは罪のない顔をした井川父兄とその他大勢の村民たち、そんな感想を抱きました。

映画に関しては、「32人殺し」がヤマで、それ以外のシーンでは冗長でのんびりした演出が目につき、やや退屈な印象を受けます。
黒澤明が撮ったらどんな演出だっただろう、とつい想像してしまいました。
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