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ゴジラ対ヘドラのHKのレビュー・感想・評価

ゴジラ対ヘドラ(1971年製作の映画)
4.1
ゴジラ映画シリーズ第11作目。監督はこの映画だけの坂野義光。特技監督は中野昭慶。キャストは山内明、木村俊恵、川瀬祐之などなど

公害などで海洋汚染が酷くなる中、巨大なオタマジャクシが発見された。しかし、なんとその正体はヘドラという怪獣だったのだ。ヘドロや周りの物を全て吸収し成長するこの怪獣は、浴びれば一瞬で腐る毒ガスをまき散らしながら空中を旋回する。ゴジラはこのとんでも怪獣を倒すことができるのか?

東宝チャンピオン祭りとして捉えると最早子供向けではないほど異色で、ゴジラ映画全体としてもアニメチックな演出も含め異色な映画である。

当時から話題になった公害を取り扱ったた作品で、世相を見事に反映させた作風となっている。

当時、テレビの流行などによりそれまで映像媒体のエンターテインメントを占めていた映画業界自体が衰退の傾向にあった日本、特撮を支えていた円谷英二さんの死去により大黒柱が崩れ特撮業界も解体されている際ちゅうであった。そんな中、一発逆転を狙い低予算で作られたこの作品。

「公害」によって生まれたヘドラは「水爆」が原因で生まれたゴジラと同じく、人間が長い歴史の中で犯してきた問題から生じている怪獣である。しかし、当のゴジラは三大怪獣ぐらいから人類の味方として描かれている。
「それまでの人類の怒りはとっくにないアイドルと化したゴジラ」対
「ゴジラの魂やコンセプトをそのまましょっている怪獣ヘドラ」と捉えると余計に面白い解釈ともいえる。実際にこの後のゴジラ対ガイガンから完璧にチープかつ子供向けにシフトすると考えると、余計にこの作品が昭和ゴジラにおいて大きな意味を抱いているかはよく分かる。

改めて映画を見てみると、やはりどれだけ怖い演出が行われていたかよくわかる。
①硫酸ミストでもがき苦しみながら骨になる一般市民
②人々も魚と同じ運命をたどると言っているようなバーでの顔が魚となるシーン
③最早どうすべきかもわからず踊り狂う若者たち
④人々の怒りや批判とともにワイプされた映像が画面いっぱいにバーッと出てくるあのシーン
⑤ヘドロに浮かぶ赤ん坊、ヘドロに紛れ込む子供
どれとったって、これが子供向けとはとても思えないほどにすごい演出ともいえる。しかし、移動しただけで人々を何千何万も死に至らしめるヘドラは多分東宝怪獣の中では最強クラスなのではないだろうか。

しかし、今回の自衛隊は無能の極みだな。電子版の送電線をなんであんなところに置いたままにするのか。一応ゴジラさんに利用されて助かったけど、ほとんどゴジラさんいなかったらダメダメだと思うと、どれだけゴジラさんに怪獣退治をよいしょしているかがよくわかる。

ヘドラにより左目を潰され、体中にヘドロを浴びてしまいながらも、最後まで戦うゴジラ。その過程で「空を飛ぶ」を覚え、追いかけまわして捕まえてまたも電子版でコテンパンにしたあげく、最後は全ての怒りをぶつけてヘドロの肉塊をずたずたにして、灰になるまで痛めつける姿には人間的な怒りを感じられた。そして最後にその怒りを滲み出すかのように人間に睨みつけるゴジラ。まさに当時の人間への怒りを表したようなものであった。

そして、この映画で一番好きなんは、やっぱり「返せ!太陽を」である、大人になってあの歌を聞くと、もうなんというか見事に当時の情勢を皮肉っていて素晴らしい歌だと感じた。学生時代には化学物質の名前を覚えるのにいろいろとお世話にもなりました。

「か~えせ か~えせ み~どりを あお~ぞら~を か~えせ」
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