Jeffrey

川の流れに草は青々のJeffreyのレビュー・感想・評価

川の流れに草は青々(1982年製作の映画)
4.5
「川の流れに草は青々 」

冒頭、台北の東北に位置する内湾。新たに赴任してきた先生、村の日々、腕白トリオ、自然の中、従姉妹の転入生の少女、喧嘩、梟、台北の女、仲直り、母を訪ねて、川遊び。今、愛川護魚へ、そして教員と生徒の交流と愛を描く…本作は侯孝賢が一九八二年に監督した初期の傑作で、この度YouTubeにて台湾映画特集をする為、廃盤のDVDボックスを購入して初鑑賞したが素晴らしい。本作は代用教員として田舎の小学校に赴任してきた陽気で熱血な青年が、小学生たちに囲まれ、恋をしたり、環境保護に奮闘する日々を描いており、その一つ一つのフレーム作りが丹念にスケッチされて、人々の暮らしが感動的に描写されている。初期の作品では超絶に好きな一本である。まさに候孝賢が子供を存分に使い回す本格的な映画である。八〇年代に入り彼が連続して子供の映画を撮る数々の傑作を世に送り出すターニングポイントの一つであると感じる。

既に子供をたくさん扱っている「風は踊る」もそうであるが、この「川の流れに草は青々」は完璧なまでに子供映画である。そして本作の主演に連続して香港の歌手であり俳優、アイドルのケニー・ビーを三度主演に迎えて作っている。恋愛の要素は多少なりともあるが、主軸となるのは子供たちとの交流である。 緑あふれる山の村のオールロケーションを際立たせ、フレームいっぱいに広がりを感じさせる彼の特徴的な画面作りは印象的で、ドラマチックな物語もそうだし、人々の暮らしを丹念にスケッチする彼の優しい試み、笑いがあり、列車が緑の中を駆け抜ける描写はノスタルジックである。

さて、物語は姉の代用教員として田舎の小学校に赴任してきた熱血な青年は腕白トリオを始めとする小学生たちに囲まれ、環境保護に関心を持つ。彼はある日、違法とされている川に毒や電流を流して魚をとっている男を目にし、自然保護運動に乗り出す。ところがこの男は、青年教師の受け持ちクラスの男児の父親だった。同級生の非難を浴びて、この男児は家出をしてしまう。父親は青年教師に付き添われて台北まで息子迎えに行き、違法の漁獲を辞める決心をする。そうするとクラスは明るくまとまり、同僚の音楽教師も好意的な視線を送ってくれる。彼の奮闘と子供たちの交流を織り交ぜて描く…。本作は冒頭に、田舎町の風景をロングショットで捉え、音楽が鳴り始める。ゆっくりとカメラは左にスライドし、路線を捉える。そしてカットが変わり、子供たちがトンネルから走る電車に向かって走る。電車の中からは子供たちが手を振っている。カットが変わり、子供達(小学生)が、その村の段差を下りたり、橋を渡ったり戯れている様子をとらえる。通過する電車を行かせて、線路を渡り集団登校する。

学校のチャイムが鳴り、急いで朝食を食べてグラウンドに集まり整列する。それをカメラは引きに撮る。続いてクラスの様子。子供たちがペーパーを回している。テストだろうか、興味津々にテストの結果の点数を見る。一人は算数が百点だったと大喜び、そんな中、一人机に向かって口を開けながら寝ている少年をクローズアップ。片方では、三八点だと皆に点数をバラされてしまい慌てふためく少年の姿もある。そこにおはよう御座いますと女性教師がやってくる。彼女は今回のテストは皆さんにとって良いものでしたと言う。そして先生は夫がインドネシアで働くことになったため家族で引っ越すことになり、学期末まで代わりに私の弟が教員になることを伝え自分が辞めることを言う。

カメラは教室に座る子供たちを左から右へとゆっくりとスライドしていく。カットは変わり、田舎の駅ホームに降りた一人の男性。切符を窓側のところに置きっぱなしにしてしまい、もう一度窓側のほうに行きその切符を取る。そして駅員に渡し、学校へとやってくる。彼はサッカーをしている少年に職員室はどこだと聞くが、返事をしてくれない。そこに姉である先生がターニエンと叫ぶ。彼は姉さんといい、二人は職員室に向かい彼の自己紹介が始まる。(苗字がリーと言うので劇中ではその名前が使われる率が高い)。

続いて、学校の下校時間へ。子供たちが走って自宅へ帰る。姉の先生が今通った三人はー番手のかかる三人トリオと彼に教える。そうすると彼はやっぱりそうかと頷く。彼は持ってきたギターを手に持ち彼が寝泊まりする劇場の上の部屋へと案内される。ターニエンは劇場の舞台で一人で踊って歌う。カットは変わり、とある子供の描写へと変わる。学校のテストにハンコを押してくれと父親に頼む。少年はハンコを持ってきて父親はテストにハンコを押す。一方違う生徒は自分でテストにハンコを押そうとしているところをお姉ちゃんに見つかり、父親に怒られる。あまりにも落第点ばかりで叱られているのだ。

続いて、職員室で新しく赴任してきたリー(ターニエン)が、改めて男性教員からみんなに自己紹介される。そして彼が受け持つクラスへと場面は変わる。一人ずつ自己紹介してもらいますと彼は生徒たちに言う。そしてまずあのトリオが一人ずつ自己紹介する。カットは変わり、列車の描写、体育の描写へと変わる。みんなオレンジ色の体操服を着て精一杯運動している。一方、音楽の教室では、女性が黒板に歌詞を書いて歌を歌う。続いて、排便の検査をするので皆さんに渡したボトルに明日便を入れて名前を書いて提出してくださいと先生は言う。そして次の瞬間、子供たちが狼狽しながらうんちをする為、トイレに駆け込むシーンのオンパレードへと変わる(なんとも面白い場面である)。

その中で、とある父親が排便の入ったボトルを手に持ち、匂いを嗅いだところ、あまりの臭さに投げて捨ててしまう。他の生徒は新鮮にしたいから冷蔵庫にうんちを入れたと母親に言ってそれに驚き手に持った小さな棒で子供を叩いて叱ろうとする場面へと変わる。そして翌日、排便を持ってきた生徒たちがクラスの机に置く場面と切り替わる。その中の一人の少年(トリオの一人)がボトルをなくしてしまったのか、オレンジジュースのパックに入れてきて先生を驚かせる。続いて、トリオが川で遊んでいる描写に変わる。そこに網を両手に持った一人の大人が何やら魚をとっている。子供たちはゴーグルをつけて川を除く。

続いて、その大人が電気を使って魚をとっていると思い、どっかから電気を流す機会を持って来て川で実験をしたら、一人の子供が感電してしまい気を失う。それに狼狽した子供たちが助けを求める。だがすぐに彼は目を覚まし復活する。そして友達を死なすとこだったと、父親に叱られる(最初ハンコをテストに自分で押そうとしていた子供)。カットは変わり列車から台北から引っ越してきた転校生の少女と叔母が降りてくる場面へ。少女は体が弱く、台北は空気が悪いからみずみずしい中へと引っ越しして、丈夫な体にさせたいとの事でやってきたそうだ。

彼女は黒板に自分の名前を書き、自己紹介をする。彼女はホン・ペイと言う。彼女は昔に座り、トリオの一人が前に座っている生徒の背中に生きたカニを入れて嫌がらせしたことにより、黒板の前で立たされる。その姿を見る転校生の少女。続いて、田園地帯で大きな葉っぱに穴を開けて仮面を作ってその転校少女とトリオの一人が遊んでいる場面に変わる。そこに自転車に乗ったターニエンと音楽の先生が手を振る。少年は草むらで怪我をしているフクロウを見つけてくる。そして少女と一緒に薬を塗ってあげる。

カットは変わり、川遊びをしている教員(音楽の先生とターニエン、ルー先生)たちが流れてくる死んだ魚を見て、近場で魚を薬で殺している男性に注意しに行くが、注意を聞かなかったため口論になり喧嘩する。みっともないことに二対ーで負けてしまう。カットは変わり、殴られた顔は腫れて、それを音楽の女性教師が薬を塗ってあげる場面は変わる。そしてクラスに戻ったターニエンのボコボコにされた顔面を見て薄笑いする子供たちに昨日、川で喧嘩をしたことを伝える。喧嘩は野蛮だから君たちは絶対にやってはいけないと注意をする。そして毒を川に流したりすることはいけないことだ、魚が死んでしまうからだと言う。

もし誰かそういったことをしている人を見かけたら先生か警察に言って欲しいと言う、カニを背中に入れられた生徒が誰がやってるか知っていると先生に伝える。そうするとトリオの友達の父親が名前に上がったことにより、それをかばおうとするトリオ。そして先生は聞いてもいないのに決めつける事は良くないよと言って謝りなさいと言う。その生徒はすぐに謝る。先生が教室から出て行くと、子供たちは取っ組み合いの喧嘩をし始める。そして職員室に三人は呼ばれ喧嘩したことに対して改善を求める。三人は手を繋がらせられる。

カットは変わり、怪我したフクロウに餌をあげてる少女と少年の描写へ。昨日父親が毒を撒いていると言われてしまった少年が手紙を母親向けに書いて、それを川に灯籠流しのように流す夕日の美しいショットへと変わる(この時、悲しいメロディーが流れる)。そして夜の風景がカット割りされる。彼の名前はショウ。父親は職を転々としているようだ。夜の食事時、父親は喧嘩をするなと息子に叩きながら叱る。カットは変わり、ー台の車が田舎町を走る。気功を教える授業の際に先程の車から一人の女性が降りてきて、クラスや教員全員に見られる。彼女はどうやらターニエンの恋人の様で、会いに来たようだ。

彼女は彼が寝泊まりしている映画館の部屋に連れて行って欲しいと言われ、しぶしぶ彼は案内する。そして車に無理矢理乗せられてしまい、台北へ向かうが、彼は台北に戻ってもすぐに田舎に戻ると言う。彼女は怒ってその場を車で去る。どうやら恋人同士だったようだが、彼女の両親が合わないらしく何も言わずにこの田舎にやってきたそうだ。一人森の中の道で残された彼は、雷雨の予感からか大きな葉っぱを手に取り雨具として使い地元へ戻る。自宅へ。ルー先生があの女は誰だ?村中の評判だぞと聞く。

続いて、翌朝の学校のクラスの中で、音楽の先生がターニエンを無視している。それを感じとった生徒たちが笑いながら茶化す。続いて、フクロウを手にした少年の画に変わり、ひよこを食べたことによって、その父親がフクロウを絞め殺したことを母親に伝えられ、彼が激怒して父親のところにやってくる。そして罪滅ぼしからか、父親は代わりに鳩を友達から譲ってもらい、それを息子に与える。だが息子はこれは食用鳩で伝書鳩じゃないと突っ込む。だが鳩には変わりないので世話しろと言われる。

続いて、台北からやってきた元ガールフレンドの行為によって、不仲になってしまった音楽の先生と仲直りするべく、ターニエンが父親と一緒に彼女の家やってくる。そして誤解を解いて二人はまた仲良くなる。そしてお付き合い開始。カットは変わり、川で子供たちと遊んでいる最中に、ショウの父親が電気を流して魚を殺している場面に遭遇してしまい、それを見た息子のショウは自分の着替えを手に持って走って家へ帰る。それを見かねた先生は父親に対して、子供たちがいる前では電気を流して魚を殺さないでください。子供たちが真似しますのでと言う。そうすると無口のまま父親はその場を去っていく。場面は息子が家に帰ってきて父親の道具などを蹴飛ばしたりする場面に変わり、父親が帰ってくる。道具を片付ける父。カットが変わり、ターニエンが職員室で教師が愛川護魚の運動を始め、村人で空を守りましょうと言う。そして先生たちはそれに対して協力をする。

続いて、ショウが学校サボっていることに気づき、先生が父親の所にやってくる。父親は置き手紙を置いて私の場所から去ってしまったと言う。彼は手紙には妹と一緒に母親に会いに行きます。もう魚をとらないでくださいと書かれていた。カットは変わり、高雄駅にいる兄妹の姿が映る。漁師の男性にここには母親がいないよと言われ、三重にいるからと住所を書いた紙を渡される。そして列車に乗る。続いて、クラスでは先生が提案した川を守るための方法が書かれていると思われるペーパーを皆の机に回す。そして自然を守っていく事は大切なことだと教える。それをカメラはゆっくりと生徒たちを捉える。そこへ音楽の先生がやってきて、ショウから電話が来たと伝え、彼は電話に出る。そして彼が駅員の事務所で待っているところにターニエンが父親と一緒にやってくる。

駅室から心配そうに眺める息子、階段から降りてきた父親と先生を見て影に隠れる。そして家族は自宅へと帰る。長年母親から送られてきた手紙を父親は黙っていたが、物事がはっきり分かる年頃になったので、このタイミングで息子に手紙の束を渡す。そして母親とのいきさつを語り、息子はパパと呼び抱き合う。カットは川に大きな看板を設置する先生と子供たちの時間へと変わる。最初は喧嘩していた生徒たちとも仲直りしたショウ、村の川が政府の正式な認定で保護区になってハッピーになる関係者が捉えられる。

そして学校の生徒と教員たちで川の魚についての学芸会が始まるのだった…と簡単に説明するとこんな感じで、この度DVDにて初鑑賞したが超絶大傑作。ALL TIME BEST級の傑作だ。とんでもない素晴らしい台湾映画だ。これは一刻も早くみんなに見て欲しい傑作中の傑作だ。もう一度言う大傑作である。こうも台湾を流れる清流の緑や草地が心と目に染みるとは…凄いものである。緑豊かな田園を舞台にしたどうって事ない小さな物語なのに、慟哭してしまう。

前二作「ステキな彼女」と「風が踊る」が田舎町と都会を描いた作品ならば、本作は田舎町を中心にした作品だろう。後の「冬冬の夏休み」の舞台になる銅羅(トンロー)と台北の間にある内湾(ネイワン)と言う村がロケ地になっていて、そこの風情ある土地柄は絶品そのものだ。ただ一両の青いディーゼル車が走る画なのに、観てるこっちは大粒の涙を流してるじゃないか…それは冒頭から終盤にかけて現れる列車、そらを追いかける子供たちの動画から静止画に変わる時の余韻は細胞一つ一つに染み渡る程である。これは大袈裟に言ってるのでは無い。事実、僕がそうなったのである。

侯孝賢は本当に駅や列車、子供たちが好きなんだなと思うのである。列車は大都会と繋がる画期的なツールであり、人の手が加えられた自然の柔らかさが、都会の波をこの田舎に来ない様に抑えているかの様、そんな平穏な風景と少し文明的な生活が程よくマッチした懐かしさある映画である。そして列車と子供を繋ぐ旅、外省人の父が川で密漁しなくては生活が持たず、若い女房は子供を置いて台北に去る…そんな貧困に喘ぐ中でのショウと言う少年の頭の良さ、監督はこの子供の描き方が非常に上手い。

こののびのびとした子供たちの悪さから善さが可愛らしいのである。本作に悪人が出てくる事はあの川で戦った男以外にいないんじゃないか…。兄妹が母に会い行く駅の中で妹が身長足らずに、水を飲みたいのに飲めない場面に知らないおじさんが、そっと腰を持ち上げ、飲ませてあげる些細なシーンだけで幸福を与えられる。ラスト、ターニエンが台北へ戻る時の苦しさったら、観てるこちらは辛いが、同時に田園村と首都を繋ぐディーゼル車が人と人を、町と街を繋ぐ重要な物だと分かるのである。

本作にも台湾語を使用していた。余談だが、この作品の転入生は撮影を担当したクンホウの愛娘らしい。それと違法な漁業や環境保護運動は侯孝賢が新聞から切り抜いて映画のエピソードにしたとか。学校のチャイムの音まで日本と同じで、すごく親近感が湧く。仰げば尊しもそうだがすごく日本と近い。あとフクロウが死ぬ場面はケン・ローチ監督の「ケス」を彷仏とさせる。まさにこの作品は大河の流れのごとく淡々としたタッチで日常生活のあらゆる面を映し出しており、対象とカメラの距離が強調され、ドラマチックなシーンをロングで撮る彼の特徴を見事に捉えた一本である。いゃ〜たまげる傑作であった。
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