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プラン9・フロム・アウター・スペースのTnTのレビュー・感想・評価

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 エド・ウッドは茶目っ気でなんとかなってるな。ティム・バートンが制作した伝記で描かれていたのもまさにお茶目さだ。酷いけど、やろうとしてることはわかるし、それができない時の理想と現実の差異が笑える。

 映画って、そもそもバラバラな時間場所をくっつけるもので、無理がある。それを上手く誤魔化し、隠せる人が巨匠と呼ばれるわけで。昼と夜も、同じカットの使い回しも、亡くなったベラ・ルゴシをなんとか代役立てたりも、しょうがないっちゃしょうがない。今作が宇宙と地面という一見結びつかない距離を軽々結びつけてしまうのは、まさに映画という”無理のある”システムを明らかにしている。結びつかないものなんてないというエド・ウッドの、あまりに気にしなさすぎる手癖故に。映画が好きなくせに、「たかが映画だ」としか思ってなさそうで、良い。こちらが歩み寄る形の鑑賞で、脳内補完してくことで観れたが、その分脳に多少の負荷ありで眠くなった(加えて退屈な箇所も要因だが笑)。

 しかし、空と地をを結びつけるなんて、ゴダールが「右側に気をつけろ」でやったことと大差無いじゃないかと思える。編集とはそういった神的行為なんだと、だからゴダールは飛行機に乗り地を見下ろせるんだと。エド・ウッドは自覚的ではないのだろうけど。考えれば今作公開の翌年には「勝手にしやがれ」が生まれるわけで、カイエ・デュ・シネマ辺りが評価してたらそれなりにエド・ウッドだってヌーヴェルバーグ扱いだった世界線も無くもない。ただゴダールは可愛げがないから批評家筋に気に入られて、エド・ウッドは可愛げあるから大衆に気に入られたみたいな違いはあるだろうけどね。

 ちなみに死者蘇りと円盤目撃が結びつかない冒頭、結構導入としては面白い。これがどう結びつくのみたいなワクワクはある。なんなら「エクソシスト」(1973)がそうだったわけだが、今作はそうはならず。ちなみに目撃したが証明できないくだりで録音したテープが生きてくるので、「エクソシスト」味を再度感じたり…そんな、まさかねぇ。また死者蘇りが宇宙に起因するというのも、「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」(1968)のゾンビが宇宙の衛星の放射線かなんかで蘇るのに近いというか…いや偶然か。そも宇宙人が地球人を嘆いて死者を生き返らせようとする構図は、ロメロが”ゾンビ”を用いて、人種差別をしたり資本主義に心酔する人類へ警告することと似ているような。というか、こんな映画でも反核であることを打ち出せるの凄いな。そんでやっぱ色々後世への影響大!?

 人類がラストで宇宙人と対話に失敗しまくるのはイライラする笑。まぁ宇宙人も宇宙人だけど(「バカバカ!」と理性を失いここで演技とは思えないぐらいの取っ組み合いに、若干引く笑)。このイライラなんだろうと思ったら、ジョン・ウォーターズの映画に出てくる一般ピーポーの扱いがこんな演出だったなぁと。またティム・バートンの「マーズ・アタック!」も人類が愚かですよね。やっぱり両者共にエド・ウッドの影響大なんだなぁ。

P.S.
エド・ウッド没後彼のシナリオで作られた「クレイジーナッツ」に、ヴァンパイラさんと奥さんが出てるの泣けるな…
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