ニューランド

高校さすらい派のニューランドのレビュー・感想・評価

高校さすらい派(1970年製作の映画)
3.9

3~40年間タイミング的なもので、どうしても掴まらない映画というのがある。1日だけのスポット上映ばかりで、2ヶ月前位に予告されてれば、休みも取れるが。本作もそうだったが、今回予告が早く、かつ1週間連続なので悠々観れた。封切の翌年発表のベストテンで、白井佳夫さんが『やくざ絶唱』と並ぶ年間最高位に推していたので気になってた。しかし、当時『フーテンの寅』位しか観てない監督で、本当に観るを熱望するようになったのは、特異なシリーズ物を観てからだった。明らかに当時盟友の山田洋次を上回る力量は、松竹レーベルを当たり前にはみ出していた。
東映から悪役流用、東宝から酒井和歌子ものらの枠援用、の70年安保に似合った学園モノだが、ストーリーの辻褄や必然性、画面を人や物で埋めるスタッフや予算の不足、とスカッスカッの作品であることが割と早い時点で露呈。しかし、作家はそんなこと、ちっとも?恐れても恥じてもない。やることをやるだけ。批評や常識どうでも、という感。
切返し·カメラへorから直に着く·角度変えて下方·床取っ組み·らの以上に速く強い格闘撮りカット積み、廻られたり·廻ったりのバイク群や廃漁船の原物越える雄大カメラワーク、状況以上に跳ね上がる主要人物の·命題引受け毅然表情と台詞、地方も自然も人物立場も条件超えて自己存在主張。篇中で云ってた映画上の今とそっくりの外国映画って何の事? アンリコ作品の事?
「もう、(正論はともかく、策略で流れ反せず)負けは決まった。無駄」「何が正しいか、やるべきは、ということ」/「これが俺らの城。籠って闘い抜く」/「共にやり抜く同志? ふたりはともかく、俺は違う」「いや、同じ、我々には何もなかった。」「仲間に張られる。信用すべきはいないと言ったはお前」「もし、そうならば、結婚しろ、彼女と。俺もするから、三人で結婚だ」/「私(の安全)」の為に折れないで。私の為と云うならとことん戦い抜いて」
地元信用金庫を持つ理事長支配下の私立高校。信金絡みの父兄会で、金の集め·運用·賄賂絡みの全決定、生徒会·貧しい家庭生徒は無力·流されるだけ。これに反旗の、少年院出の転校生含む·理事長娘がリードの、全員首謀を唱え·立て籠り·民主化要求の3Aクラス。理事長子飼いの教頭は、不良グループ使っての抗議破りや、警察引き渡し事件陽動。無理·無茶な話だが、作者の·雄大壮大·戦中派想いタップリ的場と絵づくりの臆面なし自信と図々しさが清々しさとして跋扈し、デビュー作?の武原英子がにしきの夫人へと落ち着く後の演技では考えられない位、キリッと清廉·強い感性と信念で表す、森田らとの共闘ユートピアの力·至福が(ストーリーに反し)自然に届いて来て、彼女の死の表情の幸せな勝利感も無理がない。よくわからないが、当時もう役年齢より上だったと思うが、逆に力にはたらいてる。酒井和歌子やJ·シムカスにここでは、全く負けてないどころか、森崎を一般性に下げさせることなく、その真意·狙いを強く花開かせている。
森崎が苦悩を反芻する暇もなく、最もストレートに猥雑の侭の力に満ちていた’69から’71の頃、その実に高いアヴェレージにも充分、届き得る作品だと思う。
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