LalaーMukuーMerry

陸軍中野学校のLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

陸軍中野学校(1966年製作の映画)
4.4
日本はスパイ天国だと自嘲的に話す知識人は多いです。でも最近は日本版NSC(国家安全保障会議)なる組織もでき、(良い悪いは別にして)特定秘密保護法もできたので、対スパイの法的整備はそれなりにできているとも言える。それでも日本にはアメリカのCIAやイギリスのMI6などに対応するような諜報機関はない(たぶん)。
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徹底した情報公開が民主国家の要という考えにとって、隠蔽の塊のような鬼っ子組織が必要だということは悩ましいこと。現実との折り合いをどうつければよいのだろう?
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かつて日本陸軍には科学をベースにしたスパイ養成機関があった。1938年から終戦の年まで存在した陸軍中野学校。その第1期生(18人)に選ばれた主人公の1年間の研修と訓練、そして卒業試験を兼ねたスパイ実践の物語。めちゃくちゃ面白かったです。こんな映画が東京オリンピックの2年後につくられていたとは!
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中野学校でスパイの鑑とされたのが、日露戦争の頃ロシアで活躍した明石大佐(明石元二郎)。民衆の側にたった「至誠」のこころが精神的なよりどころというのが大変興味深かった。(明石元二郎という人物を、私はこの映画で初めて知りましたが、興味ある人は調べてください)
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ここを卒業した者たちは各国、主に東南アジア(マレー、ビルマ、インドネシア)で、西欧列強からの民族独立運動で大きな役割を果たした。これをもって日本の右翼寄りの人は、旧日本軍の大東亜共栄圏構想を擁護するのだが、中野学校の卒業生たちは陸軍の意図とは一線を画していたようでもある。
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中野学校での教育では大東亜共栄圏構想などは全く無視。敵性語の英語を積極的に使い、天皇制の議論もタブーとせず戦時下の日本で最も自由に現実的に物事を考える環境だったともいえる。「生きて虜囚の辱めを受けず」ではなく「それでも生きて二重スパイとなって敵を撹乱する」。汚く卑怯ともいえる諜報活動を行うこととなるからこそ、「至誠」の心を強く持つこと、「名誉や地位を求めず、日本の捨石となって朽ち果てる」よう教育された。(この教育機関を作った人物はとても優秀だったと言わざるを得ない)
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一方で戦況が悪化してからは、本土決戦に備えて各地でゲリラ部隊を組織化することが主な教育内容に変わる。卒業生が送られたのは、米軍が来る前の沖縄や八重山諸島。そこで彼らのしたことは「沖縄スパイ戦史」に描かれている(私はまだ見れてないが、だいたい想像はつく)
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この程度の背景をつかんでから、みることをお勧めします。主人公(=市川雷蔵)とその恋人(=小川真由美)の悲しく非情な結末にいたるストーリー展開にとても惹きこまれました。
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シリーズ化して第5作までつくられたようですが、第1作の本作がダントツ評価が高いようです。そのうち続きも見ておきますかね。