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二十歳の原点の教授のレビュー・感想・評価

二十歳の原点(1973年製作の映画)
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原作(?)は高野悦子という1969年に鉄道自殺をした女子大生の日記。
立命館大学の、学生運動を背景に、とはいえ20歳の、ひとりの女性の極私的な内面が生々しく綴られていて、個人的に生涯読み続けるであろう本のひとつだ。

その映画化ということであるが。
原作の「日記」に取り留めなく、そしてまさに「独白」として語られる赤裸々さ。
「あるべき姿」に悩み。恋と政治の天秤にどちらも自分を見出せず葛藤する様。
何より「誰にも見せていない自分」を覗き見るということで感じる迫力が、そもそも映像化するにあたっては、なかなか難業であるというのはある。

結果的には、どこか日記のダイジェストでもあり。
凡庸な青春映画となり果てている感もあり。
また、構成上や予算の関係でどうしても省略、脚色されてしまう人間関係もあり。
という不利な条件が重なっている点は否めず、もったいなく感じてしまう点は多い。

ただ一方でモノローグ中心の語られる内容の「葛藤」そのものは生物(なまもの)であるという実感と、そことは裏腹に、どこか外向きの、天真爛漫さや、道化を演じているが故の可愛らしさなどとの対比も相まって外面と内面の差異についてはしっかりと演出されていたり。
高野悦子という個人を通して背景となる周囲の人物たち差異を強調した「映画ならでは」な工夫も随所にある。

あくまで原作由来の物語としては、その映像化される故の、高野悦子という無名の大学生の個をより強く認識できるという意味では貴重な映画化とは言えると思う。

個人的には、その日記故の独白をより強調する意味でも、冒頭の家族とのシーンは丸々不必要に感じたりもするし、恋心を募らせる、渡辺、鈴木、中村に対しての個別の感情はもう少し尺を割いても良かったと思うし、その求愛の切実さはもっと強調させても良かったと思う。
何よりラストシーンの迫りくる電車に恐怖を覚える表情はまったく不必要である。
彼女にとっての「死」というのが、道徳や倫理を超えて、ひとつの「選択」として描いてみせることこそ、原作への真の意味での敬意と感じるぶん、その点については全く納得が出来ず、原作ファンであるが故、残念に感じる。
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