なべ

羊たちの沈黙のなべのレビュー・感想・評価

羊たちの沈黙(1990年製作の映画)
3.8
 目黒シネマで「セブン」との二本立て。久々に観たら、かつてのきらめきが感じられなくて、新たにレビューし直すことにした。いいねをくださった皆さんごめんなさい。

 公開当時、度肝を抜かれた映画。この手の映画がアカデミー主演女優賞や作品賞を獲るのは珍しく、先だってのエブエブみたく世界中が熱に浮かされたように大きなうねりをつくっていった。もちろんぼくも熱狂したよ。
 しかし、クローズアップの多用による顔の圧迫感は当時はともかく、いま見るとちょっと萎える。ブレッソンのようにクローズアップで人物の内面に踏み込んでいくものではないからだ。ただの寄り。太陽にほえろ!かよってつっこんだくらいTVドラマのやっすい画角に見えた。
 レクター博士もなんだか漫画みたいで興醒め。アンソニー・ホプキンスは明らかにオーバーアクト。てかコントに見える瞬間もあったわ。インテリで人々を魅了しつつ、人肉を食らう猟奇設定にしては浅い。
 マッツ・ミケルセンの重厚でアーティスティックなハンニバル・レクターを知った今となっては、かなり陳腐に見えた。
 ただ、ジョディ・フォスターは今みてもとても魅力的で、垢抜けない訛りのあるクラリスを絶妙な匙加減で演じている。むしろホプキンスの怪演はジョディ・フォスターの受けの演技の巧さで際立っているのだと認識を改めたほど。
 しかしそのジョディ・フォスターも続編には興味を示さず(というかジョディに執着する原作者に嫌悪した)、ホプキンスだけがレクターを演じ続け、しまいには飽きられてしまった。
 LDやDVDもリマスターされるたびに買い替えた(Blu-rayはもう買わなかった)し、原作も読んだけど、小説の「羊たちの沈黙」が前作「レッド・ドラゴン」を煮詰めた焼き直しであることを知り、続く「ハンニバル(筆者の気持ち悪い欲望が臭い立つ駄作)」や「ハンニバル・ライジング(レクターの残りカス)」で、トマス・ハリスの底が見え、世間と同様、ぼくの熱狂も冷めていった。
 とはいえ、その後の猟奇サスペンスの礎となったのは確かで、カニバル・レクターがジグソウやジョーカー、ノーカントリーの殺し屋、ジャックハウスビルトのジャックなど、個性あふれるアンチヒーローを生み出すきっかけとなったのは確か。
 久々の上映だったので、最後まで楽しめたが、かつての熱狂はとうとう蘇えらなかった。

 あ、そうそう、映画の考察ブログなんかで、羊の悲鳴は性的虐待のメタファー、つまりクラリスは養父にやられてたって解釈があるけど、それって評論家筋が陥りやすい「俺はわかったぜ!」って勝手な自己満解釈だと思う。
 クラリスはあっさり否定してるし、そもそもレクターならそんな嘘はすぐに見抜くはず。仮にそうだとしたら、クラリスは性的虐待のトラウマから自らを救う話になっちゃうよね。それだと話がどうにもしまらない。そもそもバッファロービルは性的虐待を行なっていないし。ここは言葉通り、死を目前にした命を救うことができなかったトラウマと素直に解釈した方がいい。これがクラリスの生きる動機であり、捜査官になった理由なのだ。おそらく事件を解決したことで羊の悲鳴は消えただろうが、それは一時的なもので、しばらくするとまた聞こえ始めるのだろう。

以下は以前のレビュー

ブレードランナーがSFの流れを変えたブレイクスルーだったように、スリラームービーの流れを変えた記念碑的作品。ハンニバルというスターも生み出した。
長い間ハンニバルはアンソニーホプキンス以外ありえないと思っていたが、ついにマッツ・ミケルセンがアンソニーホプキンスを越えたことは声を大にして言いたい。
なべ

なべ