写真と動画、音声、または文書様々な媒体がある中で
何故この方法を選んだのかを考える今日この頃。
長崎の生まれの人間として、戦争というものは人よりも身近にあったと思っていた。
アニメーション、語源はラテン語のアニマ、魂から来ており広い解釈をすると動いているものは全てアニメーションなのである。
戦時中の写真なんかよりも人として扱われない彼らユダヤ人の様、または骸と成れ果てた姿。
それは写真で見るよりも非常に多くの情報量を脳に叩きつけ、ある意味暴力的な手段でもあるとも考えられる。
戦時中という言葉を使ったが、戦後があり次の第3次があるとするならば、今我々が生きているこの時は正に終わりと始まりの間を意味する戦中であり
いつ彼らの様に誰かに扱われるかは、可能性としてゼロではない。
彼らが犠牲になり科学は発展し、ファッションやその他芸術も姿を変え今に至る。
彼らの犠牲を礎とし、文字通りその上に立ち生きる程
我々は立派に生きているのだろうか
30分の映像に30分以上頭を使わされる映画である。
今年亡くなったアラン・レネへの追悼の意を込め鑑賞