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夜と霧のhasseのレビュー・感想・評価

夜と霧(1955年製作の映画)
4.2
演出4
演技-
脚本4
撮影5
音楽3
照明4
インプレッション5

タイトルでもある「夜と霧」とは、あるものを覆い隠すものの喩えなのだろう。そして、あるものとはこの場合、過去に強制収容所で起こった出来事を指すのだろう。

映画のラストのナレーション。
廃墟の下に死んだ怪物を見つめる我々は
遠ざかる映像の前で希望が回復した振りをする
ある国のある時期の特別な話と言い聞かせ
消えやらぬ悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる

このナレーションを踏まえると、アラン・レネ監督は「夜と霧」は自然発生し我々の目を曇らせるというよりは、我々自身が作り出し、過去を覆い隠そうとしている、という主張を述べたがっているようである。

過去とは確かに読んで字のごとく時制的には過ぎ去った時間でしかないのだが、過去は決して消えず、未来に向かって蓄積される。レネ監督は空き地となった今現在の収容所跡から出発し、過去の映像へとさかのぼりながら、過去のテクストを現在のコンテクストに接続することを試みる。その試みは、過去のものとなった映画そのものと今現在の視聴者の間でも行われなければならない。

この映画の見所はアプローチのみならず、内容の濃密さにもある。
収容所における「ヒトのモノ化」「モノとしてのヒト」の映像がひたすら続く。列車やトラックに押し込められ、腕に管理番号や身分の焼印をおされ、管理台帳に氏名を記入され、不当な労働生活を強いられる。それはあたかも、死を約束された人々に対する完全なるモノとしての扱いのイニシエーションである。そして死後は焼却ないし地中に埋められる。そこには死者に対する祈りも慰めも惜別もなく、完全なるモノの廃棄処理作業でしかない。

映画でも強調されるが、収容所は、ナチス政権下に誕生した新しい秩序を持った一つの「都市」だった。管理者たちが元の生活水準並に暮らせるよう床屋や病院、娼館等がある。収容者の中には選抜された親衛隊がおり、管理者による収容者の統制のサポートをする代わりに特別待遇を受けられる。

短い時間の映画だが、内容は非常に濃密だった。
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