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三つの愛
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『三つの愛』に投稿された感想・評価

Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

3.8
「三つの愛」

冒頭、美しく清らかで静かな村。造り酒屋、山、森の大自然を生きる少年、神父と教会、新任教師の女性、音楽、宗教、差別、聖職者、純粋な愛、奉公する子供、葛藤。今、それぞれの愛の物語が映される…本作は小林正樹が「壁あつき部屋」に次いで、自ら書き下したシナリオを監督した一九五四年のモノクロ映画で、この度松竹DVDを購入して初鑑賞したが良作だった。どうやらこの作品は初めて監督自身がオリジナル脚本として三つの純粋な無償の愛の物語を描いたそうだ。

この作品冒頭からハレルヤと言う言葉が繰り返され(歌)通常のホームドラマとは異なるようなピューリタンな映像が始まるのに驚いた。パッケージの写真に木で作られた十字架が映っていたのでもしやと思ったがやはりそうだった。この作品は異なる者たちの葛藤すなわち差別や偏見、聖職者達といった翻弄されがちな人間の弱さと強さを描破している。

さて、物語は長野県、軽井沢の静かな村に、造り酒屋でタダ奉公する事になった少年、郁二郎とその家族。新任教師の通子とその恋人、この小さな村にいる平太。皆がそれぞれ思いを抱えながらこの村で暮らす。ある日、大自然の山の丘に巣作りしている鳩を捕まえ神父に見せようとする平太。軈て、それが悲しい悲劇を齎す…。


本作は冒頭に軽井沢の田舎町の固定ショットから始まる。男性の声で解説が始まり、その大自然の土地を疾走する一人の少年が捉えられる。彼は木々の中を走り鳥、栗鼠を見て立ち止まりまた走り出す。続いて、笛を吹きながら馬に乗る学校の制服を着た少年と馬車の荷物代に座る男女が映される。そこには一緒にいる両親のような年老いた二人も乗っている。そこに冒頭走っていた少年がやってきて、その親父に坊主何年生だと聞かれたら僕は蝶々だと答える。カットは変わって郁二郎(馬車に乗っていた学ラン姿の子供)が酒屋に奉公しに母が頼み込む場面へと変わる。

続いて、外で子供たちが歌を歌いながら手を繋ぎ大きな輪になって踊っている。そこで僕は蝶々と言っていた少年(平太)と郁二郎が喧嘩をし、周りの子供たちがそれを煽る。郁次郎は何とか逃げて、平太も走って山の方へ行く。そこで彼が作った十字架がたくさん刺さってる場所にいた信之(冒頭、馬車に乗っていた新任教師の妻、通子の旦那)と話をする。平太は祈りを捧げると天国へ行けると神父さんが言っていたよとその新任教師の妻の夫に伝える。

カットが変わり、信之と通子が食事をしながら軽井沢に行こうと思っていると言う妻の相談を反対する口喧嘩を映す。彼女は病気持ちでどうしても仕事をさせたくないらしい…。そして翌日になり丘の上でその夫婦が別れようと言う話になる。だが、通子は別れることを拒み泣き出す。信之は耐えられないと言い去ってしまう。そして彼女は一人教会にやってくる。するとそこには平太の姿が…。

彼女は坊やと声をかけると鳩と言い返す。そうするとウグイスや鳥の鳴き声を真似し始める。教会の階段を上り二階にあるピアノを少年が弾いてと言い彼女が弾き始める。そこへ神父さんがやってくる。彼女は音楽の教師としてやってきましたと伝える。そして神父が平太の話をする。カットは変わり、平太の両親が彼についての今後を話す。

翌日、丘の上で平太が机の上に巣を作っている鳩を取ろうとするところに、神父が君が鳩を捕まえてしまったら赤ちゃん(鳥の雛)がかわいそうだろうと伝える。そうした中、新任教師の通子が学校の生徒たちと山の中に行き、平太も一緒に同行するのだった…と簡単にオープニングを話すとこんな感じで、厳格なまでに厳しいラストを描いた作品である。ラスト賛否あるのかもしれないが、その終わり方を選んだ小林正樹のシビアさが非常に伝わる映画だ。



いゃ〜、小林正樹の初期作品を連続で見ているがこれまたこの作品も素晴らしかった。平太が子供たちが蝶々の剥製を授業で作っている時に、心優しき彼がそれに対して激怒する場面で郁次郎が走って彼を追いかけて勘弁してくれよなー、と言いながら彼も泣き込み蝶々を逃す場面、病気持ちの新任教師の通子が苦しそうに彼らを探しに行く場面は感動的だ。蝶々の痛みを感じ取れる平太だからこその辛さが伝わる。

郁次郎と平太が大自然の山を背景に丘を走るシーンは圧倒的に風景画として美しく、そのロングショットにほぼシルエットのみで映される小さな二人の影が何とも言えない。丘の上に巣作りしている鳩を捕らえて、それを神父様に見せると言うために二人で駅まで走って行って、汽車の横を走り神父に見せようとする場面の原風景とモノクロに映る路線のショットが素晴らしい…と言うかスタイリッシュ。

そしてあのクライマックスの何とも言えない帰結の仕方…鳥を愛したが為に、そして今鳥たちが鳥籠から解き放たれる…。村の人々は十字架の前で何を思うのだろうか、それぞれに愛した三つの純粋な愛が今、幕を閉じる。そして郁次郎少年は走るのであった…。

ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ…。
主人公の子供がその役ではなくて、どうみても「単に下手くそな子役」にしか見えないのが致命傷。初期小林正樹の真っ直ぐな感じは俳優たちによって支えられているというか、彼らによって嘘臭さが気にならなくなっていることがよく分かった。

何を狙ったのか珍しく伊藤雄之助もミスキャスト。あの神父役はちょっと酷い。
小林正樹映画は尺が長いのでハズすと最後まで観るのがなかなかの拷問だということも思い出した。

唯一良かったところは、ヒモ画家・三島耕が教会にどなりこんで伊藤雄之助神父に「今すぐ(岸恵子との)結婚式を挙げさせて欲しい!」と懇願するシーン。

君らは洗礼をしていないから決まり上、今すぐはムリだと断りつつも、キリスト教徒でもないのに何で教会で結婚式を挙げたいのか?と三島耕にたずねる伊藤雄之助神父。

そこで「ただなんとなく。貧しい私たちでも祝福してもらえるかと思って〜」と悪びれることなくヘラヘラと即答する三島耕にはキリスト教徒でなくとも相当イラッとさせられて最高。三島耕のアホっぽい喋り方が最大限に活かされた名シーンだった。

で、結局はすぐに結婚式。洗礼はしなくてよかったのかな?
三四郎

三四郎の感想・評価

3.0
小林監督は真面目な真面目な実に真剣な人だったのだろう。世の中を凝視していた人のように思える。
彼の映画は、鑑賞後、考えさせられる重いテーマの厳粛な作品が多い。
大衆小説ではなく純文学を読んだ後のような余韻が残る。
平太君を最後死なせてしまうという筋が、小林監督らしいシビアさと言おうか…。
子供たちだけでいる時に、一人の子供が事故で死んでしまうということが描かれる小説や映画はたくさんあるだろうし、現実世界でも起こりやすい出来事だが、私はいつも思うのだ…事故であったとは言え、一緒にいた子供の心のキズは一生残るのではないか…と。何もできなかった、救えなかった、あるいは、事故を防げなかったことに対する自身への無力さと友人の両親に対する申し訳なさが。

岸恵子の科白が心に響いた。
「こんな苦しい世の中に、二人だけの夢を持てるっていうことだけでも、私たち幸せだと思わなければ…」