カンボジア、1975年4月。武装組織クメール・ルージュによるプノンペン制圧のニュースを境に、多くの住民が強制労働のため農村に送られる。一家で農村へ移動する道中、息子ソヴァンと離れ離れになっ…
>>続きを読む1972年、内戦の激化するカンボジア。銃撃の飛び交う中、ニコンを携えてシャッターを押しつづける男。男は25歳のフリー・ジャーナリスト・一ノ瀬泰造。キャパや沢田教一に憧れて戦場カメラマンを志…
>>続きを読む1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻したとき、シュピルマンはワルシャワの放送局で演奏するピアニストだった。ワルシャワ陥落後、ユダヤ人はゲットーに移住させられ、飢えや無差別殺人に脅える…
>>続きを読む1993年10月3日。東アフリカに位置するソマリアの首都モガディシオに、100名の米軍特殊部隊の兵士たちが舞い降りた。彼らの任務は独裁者アイディート将軍の副官2名を捕らえること。当初、作戦…
>>続きを読むソウルのタクシー運転⼿マンソプは「通⾏禁⽌時間までに光州に⾏ったら⼤⾦を⽀払う」という⾔葉につられ、ドイツ⼈記者ピーターを乗せて英語も分からぬまま⼀路、光州を⽬指す。何としてもタクシー代を…
>>続きを読む1933年、ヒトラーに取材した経験を持つ若き英国人記者ガレス・ジョーンズには、大いなる疑問があった。世界恐慌の嵐が吹き荒れるなか、なぜスターリンが統治するソビエト連邦だけが繁栄しているのか…
>>続きを読む1944年4月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。遺体の記録係をしているスロバキア人のアルフレートとヴァルターは、日々多くの人々が殺される過酷な収容所の実態を外部に伝えるため脱走を実行し…
>>続きを読む