ニューランド

旅情のニューランドのレビュー・感想・評価

旅情(1959年製作の映画)
3.4
☑️『旅情』及び『夕焼け富士』▶️▶️
中川信夫ですら、怪談映画専任の限られた巨匠とされてた時代があった、今は、文芸⋅犯罪⋅時代劇のジャンルを超えた映画の申し子⋅フェリーニばり「私が映画」の体現純粋名人と認知されてるが、大映ローテーションの何本かの柱の決してトップではない1本であったろう田中重雄(しかし、社の70ミリ第2弾大作を任されてる)共々、穴埋めに近い仕事もあった筈で、その黒澤的なガチガチの極め方から外れた、敢えて表面隙だらけを活かすような、味わいの妙⋅変調の懐ろを開示⋅沿わさせるタッチの作もある。
当時は珍しいハワイ旅行を呼び込み看板とした田中の『旅情』等、山本富士子の主演だが、意欲作でない安定路線での川崎敬三相手役、若さ担当は野添ひとみ、ロケもセットも大映東京としても、恐ろしく低バジェット、脚本も主人公の主体のハッキリしない続きでおかしく、何より意識⋅ファッション⋅リアリティの対ハワイ把握が、考えられない⋅冷や汗もののチクハグで、目も当てられなく、これだと山本が早晩大映体質と距離を置きたくなるのも分かるという代物(しかし、16ミリ版シネスコとしては、最上に近い、色彩⋅粒状の質)。
ところが、互いに仕事か家庭か決められず距離が生じてた、生花新流家元と新聞記者、ハワイでの成り行き再会で、恋情再燃、男の婚約者(ハワイ移民3世)が女のハワイ通訳案内者でもあっての躊躇い、の話が、ハワイの要素を気にかけず、日本の狭く閉鎖的ムードに無理やり絞り切り替えると、一気に精彩を放ってくる。平明⋅単純な対応⋅切返しでなく、相手のアクションが不完全⋅未了の段階での始動の呼吸⋅微細リアクションをメインとしたリズム、雨などの急な強さはオーバーだが、空港の室内外のブルー⋅オレンジの色彩補色感と明暗変移が、カット毎に切り返し切り結ぶ強力に届いてく(移動もそこそこいい)。この1週間の大事さを記憶から葬り生きてく決意の男と、一生瞬時も変わらず忘れないと誓う女。それは表裏一体の誠実さの交感。
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中川の新東宝『夕焼け富士』、江戸時代、政治の裏の不正を問う父が、逆に対象の重臣群から先んじて汚職の汚名を着せられて詰め腹、母と共に島流しにされた遺児が、成人して島抜け、復讐よりも、真実公開⋅父の汚名を注ぐ行動に走る、重臣の1人の娘からの恋⋅協力の町女らが絡む時代劇も、主演のアラカンがどうみても若者の年齢ではないだろう、という事を始め、復讐手立てが色々甘過ぎるか⋅反応反撃が非情すぎる展開など、敢えて隙を引き受け、その間を渡り歩く映画デクパージュ⋅リズム⋅呼吸の、内容以上の自由な懐ろ⋅流れ速度を引き込み⋅採用して、悪の顔揃え醍醐味より、特定者のはみ出し惨劇気性取上げ(まだ細身伊藤雄之助のエキセントリックなキラーぶり、生来のユーモラス封印)の方の突出へ持ってくる、それなりの才能の表出が、田中とどこか通じてる。これは、次段階の逆転⋅会心に迄は届かなかったが。
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