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いまを生きるのyのレビュー・感想・評価

いまを生きる(1989年製作の映画)
4.0
子どもは親の所有物ではない。


人間はもっとのびやかに、
感性を研ぎ澄ませて生きるもの。

一体誰のせいなのか
そればかりを問う世の中で、
この映画が訴えかけるのは

人は抑制され雁字搦めにされては
死んだも同然だということ。

キーティング先生が元凶のように仕掛けられた始末は、スケープゴートを形成する構造的暴力の縮図に他ならない。

イエス・キリストと同じで、

キーティング先生は大人たちによって抑圧され非力な者とされた生徒たちの心を解き放つ救世主として登場する。

生徒は見る間に野心と情熱を机上外に見出し、人の持つ言語、すなわち詩という手段で全身全霊感情を表に出すことを覚えた。

型を破る経験のない彼らは、ルール違反も厭わなくなる。
右往左往しながらも、ルール違反と自由を混同しないよう、感情の出し方を覚えた彼らは、今を生きることがどういうことなのかを体得していった。

キーティング先生が悪のように見せておきながら、その深淵に眠る罪の所在を聴衆に考えさせる。

「子どもは親の、大人たちの所有物ではない。」

優秀とは何なのか。
勉強して、親や教師が敷いた終末論のレールに乗って生きることが人生なのか。

そういった人間の根本を問いただしてくれる。

イエスがローマから処刑されたように、キーティング先生も懲戒処分を受ける。


全身全霊で歌う「詩」に
また、つまらない評価をつける日々が始まる。

けれども、最初とちがうのは、
抑圧からの解放を覚えた生徒の心には、
「イエスの中に神を見た」当時の人々と同じように、
キーティング先生の中に自分たちの「自由」を見る。

自分たちがどう生きるべきかを確実に知った彼らは、もう二度と会うことのないであろう先生の教えを胸に、今日もまた勉強に励む。

広い意味で人権映画であり、
人としての在り方を教えてくれる映画だった。
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