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いまを生きるのsyuheiのレビュー・感想・評価

いまを生きる(1989年製作の映画)
4.0
1989年のピーター・ウィアー監督作品。原題は"Dead Poets Society"。

米東部の保守的な全寮制高校に1人の英語教師が着任する。この学校の卒業生で名はキーティング。詩と自由を愛する彼は規律と学業で雁字搦めの生徒たちに「今を生きろ」(Seize the day.)と説く。彼に感化された生徒たちはかつて彼が結成したという"死せる詩人の会"を復活させ青春と詩に耽溺するが…。

よくできた脚本だと思うし画面も美しい。秘密の会合を開くためフードを目深にかぶった少年たちがモヤのかかった夜の森を走る描写は今でも大好きなシーン。ただ、若いころ初めて観たときは素直に感動したものだが、自身が教育に関わる立場となった今とでは感想が大きく変わっていることに気がついた。

超進学校で教鞭を執りながら生徒たちの自主性を重んじ限りある生を謳歌せよと説く、型破りで破天荒なキーティング先生の教育はとっても感動的だ。教科書を破らせ、机の上に立たせ、ときには生徒を外に連れ出して英語の授業とは思えない体育教師のように身体でぶつかる。こんな先生に教わりたい…か?

キーティング先生の姿に若いころの俺も感動したものだ。だが、自分が教壇に立って15年が過ぎた今となっては悲しいほどに類型的で野暮ったい"リベラルな教師"像に見えて仕方がない。もっと直截に言うならばこんな教師にだけはなりたくないと思ってしまった。人間、立場が変われば感想も変わるものだ。

親からの重圧と自分のやりたいことの実現の狭間で身動きの取れなくなった生徒がキーティングのもとに相談に訪れる。生徒は絶望の淵ギリギリに立っていた。そこでキーティングが与えた助言は拍子抜けするほどありきたりで、まったくもって生徒の助けになっていない。他に言うべきことがあったはずだ。

それは狡猾な大人の知恵であるべきだったのではないか。生徒の前で自由気ままを気取り、かつての反逆児ぶりを匂わせながらきっちり卒業し、戻ってきた組織の中でそこそこよろしくやっているキーティング先生、あなたのその処世術こそ彼に教えてやったらよかったんじゃないのか?という思いが拭えない。

「いまを生きろ」とあなたは言う。あなたが関わっていられる時間だけであればそれで構わないのかもしれない。しかし人生は「いま」の連続だ。"Seize the day."を「この日をつかめ」と解釈してくれる生徒ばかりではない。人生のハイライトはまだこの先にある、そう思わせてこその教育じゃないのかなぁ?

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