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TAKESHIS’のTnTのネタバレレビュー・内容・結末

TAKESHIS’(2005年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 「マルホランド・ドライブ」は、他人の夢物語だったが今作は武自身の夢物語なので「8 1/2」的。ほぼ感覚的で時折雑味もあるが、こんな作品を作れてしまうのはやっぱり凄いと思うのだ。そして、こんな強迫観念的な不安を彼は抱いてるのかと心配させられる。カオスすぎ!

 成功した自分と落ちぶれたかもしれないもう一人の自分との葛藤。芸能界の光に近づけば色々ダーティになっていくわけでふとそんな時に、あの時道を過って売れなかった自分がいたらと今作の主人公は思うわけである(この芸能界の光と闇のテーマが「マルホランド〜」そのもの)。"もし"で始まる妄想と、前後カットの面白い挟み方、そして圧倒的な笑いとナンセンス。辛うじて一本に纏まった映画である。逆に今作以降の「監督、ばんざい!」とかはうまくいっていないように思える。

 武の銃の火薬量は今作は尋常じゃない。殆ど銃として機能不全なまでに撃たれ、それは星になったりする(意味不明笑)。途中の機動隊、ヤクザ、内ゲバ、相撲という日本近代暴力総まとめシーンは面白い。それも結局一掃される。今作のためらいない発砲への麻痺に対して、主人公の武は見上げる先のアメリカ兵の銃口には怯えきっている。

 これ、ひょっとしたら平成に振り返る戦後日本の成れの果てというテーマでもあるのではないだろうか。特に国民を骨抜きにするというテイでアメリカから持ち込まれた大衆娯楽(3S政策)の数々と今ある芸能界は密接なわけで、あながち芸能界が戦後史を語る場であるのは間違いではないだろう。幾多の死があったうちの一人が、将来日本を憂いてみた走馬灯が今作だとしたら、あまりにも悲劇ではないだろうか。命からがら生き延びる意味が、身を捨つるほどの故郷(将来)はあるのか。かなりニヒリスティックな内容である。今作の笑いもそれと同じで、どちらかといえば冷笑気味である。

 今作で歌われる「ヨイトマケの唄」は、美輪明宏が労働者の前で綺麗な格好で歌うことを恥じ、彼らのための歌を歌えないだろうかと作ったものだ(wikiより)。北野武が、売れなかった仲間に顔向けできるのだろうかという不安から作った動機は、この歌と一緒である。しかし、その「ヨイトマケの唄」は茶化されコメディとなる。DJによるスクラッチで現代的に奏でられた元の盤が「夢で逢いましょう」だった時の、なんともいえない哀愁。日本は、あんたら兵隊さんが守ってくれたおかげでこうなりましたと皮肉交じりに提示された映画。

 また、おそらく強迫観念から生まれたであろうもう一人の武の生きる”無敵の人”としてのリアリティは少し怖いぐらい真に迫ってるように感じた。コンビニで嫌な客相手に金を稼ぎ、煩い工場の上のボロアパートで、ナポリタンを食ってむせ返る。このリアリズムは虚構でなく、確実にいる、だから怖い。彼らは本能を眠らされた獣のように何かを待ち、その契機が例え小さくても起きてしまえば止まらない。トリガーがひかれていないだけの銃である無敵の人。ピエロと書かれただけで思い立ったようにナイフを持ち刺しにくるのだ。ちなみに武が本当に以降金髪で過ごしているのを見ると、ある種の自己変革が本当に起こったのかなと思った。殺人は、夢の中においては変化の意味合いがあるそうで、そうした自己治癒の物語として今作は作らざるを得なかった代物なのかもしれない。

P.S.
 岸本加世子のクソガキのような意地悪が全編通しておもろかった。デヴィッド・リンチもそうだが、昔は激烈に今作や夢物語にハマったけど、今はもうハマりきれなくなってる。記憶消してもっかい見たい。
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