YasujiOshiba

ウォーカーのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ウォーカー(1987年製作の映画)
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積読DVD。23-4。『山猫』みたいな映画というなぎちゃんのリクエストに「これでもよいか」と聞けば「いいよ」と返事。ぼくも初見だったので一緒に見る。ぼくは「なるほど」。今年度一本目のなぎちゃんは「なんじゃこれ」との感想。さもありなん。

19世紀なかばのフィリバスターの話に、20世紀のアメリカを混在させて、その歴史的なイメージを混乱のうちに膨らませる戦略。じつにイギリス的。その血生臭さは大笑いすべきブラックコメディ。印象的なのは銃撃の中を平然と歩み続けるエド・ハリス。その不条理な姿は、まさに歩く死神として慄然とさせる。ほかでもない、アメリカン・デモクラシーの理想のブラックなイメージなのだ。

そもそもフィリバスターとは、そもそも海賊行為のこと。「16世紀には王室などの私掠免許を得て、敵国船を襲う私掠船を意味」していたという。この映画の主人公ウィリアム・ウォーカー(William Walker、1824 - 1860)は、そのなかでも有名な人物。ぼくがこの人物のことを知ったのはポンテコルヴォの『ケマダの戦い』(1969)を通してのこと。マーロン・ブランドの演じたイギリス人のウォーカーは、あきらかにアメリカ人の実在のフィリバスターであるウォーカーがモデルだった。

ただしポンテコルヴォの『ケマダ』は人間劇。コックスのほうは不条理劇。けれど、どちらが身の毛がよだつかといえば、ぼくはコックスに旗をあげる。たしかに『ケマダ』(1969)の制作背景にも、当時のヴェトナム戦争があり、キューバ革命があった。しかし『ウォーカー』(1987)の背後の、ニカラグアのコントラ戦争(1979-1989)はやばい。じつにきな臭い。

コントラ戦争とは、新米のソモサ独裁政権を倒したサンディニスタ革命(1979)に対して、レーガンのアメリカはソモサの残党などに軍事的に肩入れし、コントラと呼ばれる反政府ゲリラ活動を支援したことで起こった内戦のこと。

じぶんに都合の悪い政権ができたなら、反政府ゲリラに武器を流してあばれさせる。それはかつて、ウィリアム・ウォーカーが、鉄道王と呼ばれるコーネリアス・ヴァンダービルト(Cornelius Vanderbilt, 1794 - 1877)の支援を受け、ニカラグアに送られて、自由と民主主義の名の下に、フィリバスターとして自由気ままに略奪を重ねたことの再現ではなかったのか。

しかもこのコントラ戦争と呼ばれる内戦は、アメリカの裏庭だけにとどまらない。1986年には、イランに武器輸出して得た資金をコントラへ横流ししていたという事実が発覚して大スキャンダルとなる(イラン・コントラ事件)。ようするに、世界規模でフィリバスターを暗躍させているのがレーガンのアメリカであり、それはやがてブッシュ親子に引き継がれてゆくことになる。

それこそが、コックスの『ウォーカー』が予言したことであり、その予言は中東からウクライナへと場所を変えてながら、世界の各地で実現しているというわけだ。これを柄谷の交換様式の話にパラフレーズすれば、ネーションと国家に結びついた資本が、その物神性のクリティカルな局面まで全面化させている状況。この危機のなかにこそ、思わぬ形で高次の救いが回帰してくるはずなのだが...
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