YasujiOshiba

ローマに散るのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ローマに散る(1976年製作の映画)
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シチリア祭り(11)

YTのスペイン語字幕版で鑑賞。これは確か見たことがあるはずだが、こんな傑作をすっかり忘れていた。というか、見た時には、この作品の怖さがわからなかったのだと思う。

原作はシャーシャの『権力の朝(il contesto)』(1971)。この作家によれば、最初は「ちょっとしたお楽しみ un divertimento 」として書き始めたこの作品や、やがてその手のなかで、なにかとんでもなく深刻ななにものかへと変化していったらしい。原題の il contesto とは、そうやって「編まれたもの contesto 」という意味にもとれるし、なにか不穏で深刻な闇を作り出すような、そして誰もがしっている時代的・社会的・政治的な「状況 contesto 」ということでもあるのだろうか。

舞台はどこかの架空の国。どこまでもシチリアでありローマでありイタリア。連続殺人の捜査をすすめるリノ・ヴァンチュラ(イタリア風に言えばリーノ・ヴェントゥーラ)とともに、ぼくたちは闇の奥へと連れてゆかれる。

「その中に侵入するのが不可能な形で、近似的にマフィア的と呼べるような連鎖からできているものへと、ますます降りてゆく(sempre più digrada nella impenetrabile forma di una concatenazione che approssimativamente possiamo dire mafiosa) 」というシャーシャの原作を、ロージはみごとに映像化。サルヴァトーレ・ジュリアーノの謎の死に迫った『シシリーの黒い霧』(1961)のスタイルが、ここではいっそう高められていて鳥肌もの。

ところで日本語の「ローマに散る」というタイトルはどこから来たのだろう。もちろんラストシーンにローマで銃弾が響くのだけど、そこからとったのか。一方、映画のタイトルは「高貴なる遺体 cadaveri eccellenti 」。これは聖職者や高位の人の遺体のことで、実際、オープニングタイトルに映し出される亡骸と、それに続くパレルモの有名なカタコンベの映像が映し出されるが、不吉な物語の行き先を予言するという仕掛けになっている。

ところで同年、エリオ・ペトリが『トード・モード』を撮っている。こちらもシャーシャの同名小説(1974)原作。 どちらの作品もテロの横行する「鉛の時代」の不気味さと緊張感と滑稽から滑り落ちるグロテスクを、その見事な形式のなかにとらえて秀逸。なるほど映画は時代の鏡というわけか。

脚本にはトニーノ・グエッラがいて、音楽はピエロ・ピッチオーニとアストル・ピアソラにショパン。映像もすごい。撮影はパスクワリーノ・デ・サンティス。同じロージの『シシリーの黒い霧』では名撮影監督Gianni Di Venanzoジャンニ・ディ・ヴェナンツォのもとでカメラを操り、『遥かなる帰郷』の撮影現場で亡くなったロージの盟友。ほかにもヴィスコンティやフェリーニの撮影監督としても活躍。

ところでこの映画、日本版の円盤が出ていない。ダメじゃん。
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