Jeffrey

性賊 セックス・ジャック いろはにほてとのJeffreyのレビュー・感想・評価

3.0
「性賊 セックスジャック」

冒頭、安保反対闘争の実録映像が映し出される。総決起を目指し逃亡中の活動家集団、地区反戦のメンバー、元工場労働者、匿う青年、政治への無関心、警官と破防法、薔薇色の連帯、交番襲撃。今、黙々と直接行動を続ける…本作は若松孝二が一九七〇年に監督した一九七〇年六月十五日、日米安保反対デモの激しい記録映像から始まり、赤軍派によるよど号ハイジャックのエピソードなども交えながら、都市の最下層で憎悪を抱える心優しき青年テロリストの孤独な戦いに、日本の運動状況の未来を見出した作品で、アンダーグラウンド劇団総出演による若松的アナーキズム映画の到達点と評価された本作をDVDボックスを購入して、久々に鑑賞したがやはり凄い映像である。

日米安保に反対するデモの記録映像から始まり、集合場所の明治公園を出発したデモ隊と機動隊の激しい衝突と火炎瓶での交番襲撃などが写し出されていくファースト・ショットはインパクトが大きい。シュプレヒコールやテレビニュースの音声が重ねられていくのは彼独特の方法論であり、「テロルの季節」「狂走情死考」なども同じである。若松孝二の作品は実際のデモの映像やスチールが効果的に使われているので迫力がある。しかしこの作品はデモのシーンから撮影自体が開始されているので、少し風変わりかもしれない。ちょうどこの日は六〇年安保闘争において国会前で虐殺された樺美智子の十周期にあたり、全国で二万人以上がデモに参加し、東京では記録にも映されている火炎瓶や投石等によるゲリラ戦で二〇〇人以上が逮捕されたとのことである。若松映画を見るには、まず歴史から学ばないとなかなか前に進めないのが厄介であるが、勉強になるため非常に好きである。

いわゆるよど号のハイジャック闘争に成功して国際根拠地設立のために朝鮮民主主義人民共和国へと向かう九人のメンバーたちの犯罪をこの作品はハイジャック闘争に大きなインスパイアを得ていると感じる。そもそも七〇年安保闘争勝利がスローガンとして挙げられていたものの大衆運動としては急速に衰退していく共産主義者同盟赤軍派による武装闘争が開始された東京戦争並びに大阪戦争が続けられるが、結局は当時の首相である佐藤栄作の訪米阻止を目指した武装訓練中に弾圧を受けあっけなく終わってしまう。そういった中、この作品は赤軍派のアレゴリーであり、主人公たちが第二のハイジャックに向けてスタンバイし潜伏する日々を捉えているものになる。それを下層労働者でありアナーキズム的な貧乏人が主役をなしているのが面白い所だ。決して活動家が中心として描かれていない。マルクス、レーニン主義的な革命運動への批判を描いてるような作品では無い事はなんとなくわかるのだが、運動全体を再構築するかの演出はなされている。そういえばシージャックした事件もあったなぁ。確か広島で警官を殺害して逃亡してたやつ。ちょっと今思いだせないが…。


さて、物語は総決起を目指し逃亡中の活動家集団、地区反戦のメンバーを匿う事となった元工場労働者でこそ泥の鈴木は、政治への無関心を装いながら、薔薇色の連帯と称してセックスを繰り返す彼らとは対照的に川向こうのアパートから仕事に出るたび、警官殺害、交番襲撃、共産党本部爆破、首相暗殺など、黙々と直接行動を続けていく。本作は冒頭に安保反対の実録映像が映し出される。デモ隊が機動隊と激しく衝突し、交番を襲撃する描写が映し出され、連行される活動家たちを順序よくフレームインする。それでもデモは続けられていく。時は一九七七年、地区反戦の米田正子がアジトに向かう途中で二人の公安警察に拉致される。部屋では、行動隊長の大須武夫が仲間に方針を伝えている。そこを踏み込まれるが、彼らの拳銃を奪って反撃し、バラける(逃走)。

登川、八木、丸山、横井は、大須と合流し、近所にある横井のアパートへと向かう。大須は奪った拳銃を公衆便所に処分するが、鈴木と言う青年がそれを拾い上げて自らも警察に追われていると言ってついてくる。アパートに逃げ込んだ五人は、鈴木をスパイと疑って拷問するが、コソ泥だとわかって安心する。そして薔薇色の連帯と称してセックスをスタートさせる。大須は全員にしばらく潜伏するよう命令して去っていく。しかし翌朝、彼が逮捕されたことを知ると登川らは鈴木の提案で新しいアジトとして彼の家に向かうことにする。そして川向の薄汚い木造アパートでの潜伏生活が始まる…と簡単に冒頭を説明するとこんな感じで、見知らぬ青年にやはり疑いの目をかけ本当は何者なのかと厳しく問い直し、拳銃を突きつける若者たちを描いているのだが、その鈴木が前に働いていた工場への激しい憎悪とニ度の事故が起きて倒産し、こそ泥になったと言う経緯を告げてから徐々に仲間意識が強まっていき、アパート生活が淡々と描き出される。

そんで登川、八木、丸山が中央の方針をめぐって口論となり、取っ組み合いの喧嘩となるが、すぐに和解して宴会を始める。酔っ払った登川は、鈴木に薔薇色の連帯を強要して無理矢理服を脱がせて革命の同志と呼びかけ、恍惚の表情で迫ってくる横井を鈴木は汚いと言ってはねのける。侮辱された彼女は鈴木を激しく罵倒するのが写し出される。この場面での秋山演じる鈴木がすごく印象的だった。女に無理矢理のっけられるシーンはインパクトがある。そんで再び買い出しから戻った鈴木は大家に呼び止められ、家賃の催促と騒音の苦情を言いつけられる。だが彼はお金を少し多く払うから許してくれと和解する。んで、登川は鈴木から新聞へ受け取ると、共産党本部爆破未遂と交番爆破の記事に目を止める。そして川を眺めている鈴木のもとにやってきて、世間話をしながら、ー連の事件は鈴木によるものだろうと問い詰める。鈴木は、自分が出かける日に新聞を買ってくるから事件と一致するだけだと言うが、唐突に人を殺せるか…と登川に尋ねる。川向の人間は人を恨んで生きているからつい聞いてみたくなった、そして天誅はいい言葉だとつぶやく。

地区反戦の立沢安江が横井に連れられて、ハイジャックによる第二次総決起の指令を伝える。さらに北朝鮮に渡った同士からのメッセージを渡そうとするが、登川に押し倒される。そして鈴木に薔薇色の連帯を再度迫るがあっさりと拒否される。横井はメッセージを拾って読み上げる(このシークエンスはカラーフィルムになる)登川に続いて、八木と丸山も安江に覆い被さり、そこに横井も加わって、五人で薔薇色の連帯を繰り返し志気を、高めていく。そんなこんなで二日後、ハイジャック闘争のため登川らは空港に向かうが、大須の密告によって一網打尽にされてしまう。しかし新聞には第二のハイジャック未遂に終わる…とは別に首相暗殺さると言う記事が載っている。土手を上ってきた鈴木は、自らに激しいアジテーションをしながら、拳銃を手に河原の草むらの中に逃げ込んで行く。尾行してきた公安たちは、ハイジャック計画の首謀者とされる鈴木を射殺しようとするが、逆に返り討ちに会い、皆殺しにされる。事態を眺めていたスパイの大須もぶっ殺されてしまう羽目に…。

そしていよいよクライマックスになり、鈴木は新しく着込んだ赤いジャンパーのジッパーをぐっと上げ、川向こうからこちら側へ、ゆっくりゆっくりと歩き進めていく…ってなるのだが、全体的に上映時間も短くそこまで難しくない政治的内容だったので案外見やすい。ちなみにクライマックスの赤いジャンパーは監督が来ていたのを貸してあげたらしい。主人公の青年の六畳もない小さなボロアパートの中で、政治の話をしながら乱交するのは凄い迫力。すごく品性下劣で暑苦しくて気持ちが悪い。あと、泥まみれになりながら乱闘する場面は固定ショットで長回しして極力カット割りを少なくしているところもすごく良かった。あのアパートの管理人の大家のおばさんと青年が会話する場面なんか好きなんだよなめっちゃ。そー言えば冒頭のシーンで警官が破防法の話をして捕まえようとするのだが、破防法って結局今のところ一切使われてないんだよね確か、オウム真理教の時の麻原に適応しようとしても結局は勢力によって潰されたらしいし。

あのバージンの女とアパートでセックスするシーンでモノクロ映像がカラーフィルムに変わる瞬間、ここでカラーになるんだと誰もが衝撃を受けるだろう。この作品の青年テロリストの役を演じた秋山未知汚(鈴木君)のビジュアルがすごく思想的にもポリティカルなものに興味がないような格好をしていて非常に良かった。彼は確か7新宿マッド」ではギター弾きの少年を演じていたが、彼自身映画に音楽をつける時もあった分、何となくわかった。それにしても彼は音楽集団のユニット名に迷宮世界やホルモンアートと言うのをつけている分、アングラ的なトレンドが好きなんだなと勝手ながら思う。秋山と言う役者は若松孝二の作品に結構出ている。今思えばカンヌ国際映画祭に出品され、大島渚の「東京戦争後秘話」や「儀式」と言う政治的な映画がお披露目されたのがこの時代だった。

若松映画と言うのは全共闘運動の大きなうねりをその思想と共に映画の中に反映すると言うスタイルをほとんど貫いている。しかしながら本作のクライマックスは権力の手先である警察がバタバタとテロリストの青年に殺されていくと言う描写を観客が見たら果たしてどのような感覚を覚えるのだろうか、少なからずイデオロギーのバイアスにより不快感を表すものも多くいるはずだ。特にテロリストの青年が橋を渡って次なる標的を探すと言うような感覚が感じ取れる分、首相まで殺せば首相のトップと言えばもはやアマテラス(天皇陛下)としか考えられないため、もしそれがそうであるのならば若松率いるこの連中どもは性によって国家を解体する試みを映画にして作ったアウトローと言うしかほかかない。大島渚同様に天皇に言及する輩を許すことができないだろう。特にこの作品の足立の監督作である「性遊戯」は美智子とでもやるかと言うセリフまで入れているからな、忘れやしない…。

若松は自分の映画で天皇陛下を侮辱したいのか、「日本暴行暗黒史 異常者の血」では親子四代をめぐる呪われた血の物語を万世一系の天皇家に重ねて描いているし、とことん此奴らのイデオロギーにはついていけない。吉田喜重が「戒厳令」などで日本の近代を批判した作品を作ったのであるならば、若松のこのようなピンク映画と言うカテゴリーの中で天皇を半ば攻撃的に取り扱っているのがうかがえる。さらに日本国民の象徴でもある富士山等を重ねて爆破させようとする演出なども見受けられる為、許し難い。回りくどく結局は天皇暗殺をストレートに描ききってない民族愛国者へのひより…が見える。画して、胸くそ悪い映画ではあるが作家としては大島渚同様に凄い部分がある。政治的言説とともに…。
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