シートン

水の中のナイフのシートンのレビュー・感想・評価

水の中のナイフ(1962年製作の映画)
3.9
ヨットの上という実質的な密室空間を創出し、そのシンプルな舞台と、3人だけの登場人物のなかでストーリーを展開していくその設定、脚本の質素で意欲的な構成の巧みさ。
3人の男女は親子のようである。父、母、子、まず精神分析を取り入れたくなるような構図。子は母を欲望するが、青年の持っていたナイフが「父」によって捨てられることで、彼は去勢される。その欲望とファルスは青年が舳先に寝ているのを「父」が見下ろしたカットに表現されている。
印象的なのは、彼らが船室で過ごすシーンである。父はラジオでボクシング中継を聴く。彼はおそらく同胞である「モリック」を応援する。青年は室内の蚊の羽音を追っていると、母の着替えに目がいってしまう。彼は一瞬それに見入ってから視線を戻すと、父と目が合いそれを見咎められる。
やがて彼らは「棒引き」をを始める。「母」と「子」が失敗しても、一度も「父」が心配せず、棒が回収されるのは極めて象徴的である。そして彼らはそれに飽きたらず、青年の内を壁に掛けられた小さな板めがけて放る。青年がまずそこに突き刺した。「父」も負けじと同じように刺す。再び青年が放るとナイフは、その板の横の壁に刺さった。小さな的には入らなかった。しかし一度は青年がそこに収めることに成功していることは、また2度目に失敗することと、同じくらい重要に象徴的である。
そのあとで、青年は「母」に歌を歌ってくれるようねだる。母は歌いだす。父にはラジオのイヤホンを耳栓代わりに装着させて。彼女は「そんな目で私を見つめないで」「今は冷え切った二人の心」などと歌う。
父はモリックが負けたとつぶやく。青年は詩を暗唱する。蚊の羽音は「母の嘆き」か?と。「父」は「モリックがKO負けした」と呆然として語る。ここで、「父」と「子」の力関係が変容する。父を置いて母と子が二人で翌朝を迎えるのである。

そしてそのような関係と「母」たるクリスティーヌの位置を示す重要な装置が眼鏡である。彼女は冒頭とラストシーンにおいて、ややエキセントリックなメガネをしている。船の上でもアンジェイの妻として、従順にふるまうとき、それを身に着けている。しかしその船室のシーンや青年と情事にふけるシーンではそれをかけていない。

このような小さな道具や、台詞とト書きの機微によって鋭い効果を生み出す心理描写を追求するという実験性が見事だ。ポランスキー映画においては習作のような位置付けかもしれないが、習作でしか成し得ない実験に果敢に挑んでいる
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