デニロ

おもいでの夏のデニロのレビュー・感想・評価

おもいでの夏(1970年製作の映画)
3.5
秋の風が吹いて舟をたたむ頃/あんなしあわせにも別れがくるのね/あやまちなんて誰にもあるわ/あなたの事も思い出/そして知らん顔で時は過ぎてゆく/さよならするたびに/大人になってゆく恋人たち/(哀愁のページ:詞/有馬三恵子 歌/南沙織)

この季節の変わり目になるとこの歌を思い出します。

48年ぶりに本作を観る。当時、男の子たちは感涙の涙を流したのでしたがわたしはちょっとピンとこなかった。それが何だったのか忘れていたけれど、再見してこんなことだったんじゃないかと思う。よかったら今夜訪ねてもいいですか、と言って15歳の少年ハーミーは出征中の兵士の若妻ドロシーの下に赴く。いつもだったら明るい笑顔で迎えてくれるはずなのに、今晩は居間に彼女の姿はない。レコードプレーヤーからレコード盤の掠れる音、テーブルには酒瓶とグラス、そして煙草の煙。その傍に一通の戦死公報/残念なお知らせですがご主人はフランス戦線で戦死されました。/バスルームから泣き濡れたドロシーが現れる。お悔み申し・・・。ドロシーがレコードプレーヤーのレコード盤に針を落とす。ミシェル・ルグランのあの曲。踊ってと手で招くドロシー。スローダンス。心細げにドロシーの背に手を寄せるハーミー。ハーミーにしなだれかかり咽ぶドロシー。曲が終わり、また、レコード盤の擦り切れる音。ドロシーがハーミーを見つめ背中で促す。

いやいやこんなことがあってはならない、こんなに簡単に肌を許すなんて、と1975年のわたしは思ったんじゃないか。

再見した今回はまた違った感想を持つ。冒頭のモノローグ。中年なった主人公が1942年のあの夏のことを回想しているのだ。オヤジの回想なんてそれだけで不潔じゃん。話を盛ってるだろ、とか、あんなキレイな女性じゃなかったよね、とか、羨望まじりで否定に回る。わたしの周りにあんなに若くてきれいな未亡人なんかいなかった。1975年以降ドロシーという名前に劣情を催したりしたことも蘇る。ジェニファー・オニール。

ハーミーの見ている前でスカートとブラウスを脱ぎ、ハーミーの上着を脱がせるドロシー。そしてスリップの紐を下げ、背中の留め具を外す。最後の一枚を脱いでベッドに入りハーミーを誘う。レコード盤の擦り切れる音から潮騒に変わっていく流れの中で起こる出来事の演出は息をのむ。

翌日。ドロシーの家のドアに差し込まれた1通の手紙。

ディア ハーミー わたしは実家に帰らなければならないの。分かってくれるわね。やらなきゃならないことが沢山あって。昨夜のことは何も言い訳しないわ。いつの日か、あなたにもわかってもらえるでしょう。わたしたちの思いで。それがあなたの重荷にならないことを祈ります。いいことがありますように。ハーミー、それだけをいつまでも願っています。ドロシー

1971年製作。脚本ハーマン・ローチャー。監督ロバート・マリガン。

Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下 ワーナー・ブラザース創立100周年記念上映 “35ミリで蘇る ワーナーフィルムコレクション”selected にて
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