hama

クローズ・アップのhamaのネタバレレビュー・内容・結末

クローズ・アップ(1990年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます


共通テストの国語に、演出家の太田省吾が書いた文章が出題されていた。その文章を読んで、キアロスタミが撮ったこの映画のことが、より深く理解できたような気がした。以下、太田省吾「自然と工作ーー実在的断章」より引用。

〈私〉を枠づけたいという欲求は、われわれの基礎的な生の欲求である。
 われわれはなに者かでありたいのだ。なに者かである者として〈私〉を枠づけ自己実現させたいのだ。
 演技の欲求を、自分ではないなに者かになりたいという言い方でいうことがある。このとき、自分ではないなに者かとは、自分でない者ではなく、なに者かの方が目指されているのであり、そのなに者とは、実は自分のことである。つまり、それは自分になりたい欲求を基礎とした一つの言い方である。

以上の引用は、有名な映画監督になりすました青年サブジアンの心理を言い当てているように思う。キアロスタミがこの青年に関心を抱いたのは、彼が映画創作に携わる中で演技というものが人間にもたらす効果を何よりも熟知していたからであり、サブジアンが抱える欲求とその行き詰まりを感知したからであろうと思う。そうした意味で、この映画の制作は、事件に関係した人物に対して行われたある種のセラピーであり、作品はその記録である。

この映画の白眉となるのは裁判の場面である。自分自身が行ったある種不可解な行動の理由を根本的なレベルで突き詰めた先に、他者になることの不可能性と人間が自分自身でしかいられない業が同時に立ち現れる。サブジアンがその事実を口にして、キアロスタミがそれを認めるあの場面はとても良かった。

サブジアンとマフマルバフが被害者宅を訪れる時の、二人乗りのバイク、録音機材の不調がとても感動的で、やはりこの監督が撮る作品にはささやかな魔法がかかっているのではないかと思わされた。不思議な手触りの映画で、咀嚼するまでに時間がかかったが、今後も何度も観ると思う。
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