テテレスタイ

ブルゴーニュで会いましょうのテテレスタイのネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

頑固おやじとその息子がワインを作る話だけど、最新技術を否定していて、中世以前へと原点回帰を推奨するような映画だった。

ワインはフランスが発祥の地ではなく、カエサルがガリア戦記でフランスにワインを伝えたらしい。映画の中でローマの壺が出てくるけど、ローマから伝わったことを暗示している。

ブドウの原産地は西アジアと北アメリカで、フランスは原産地ではなく、他所から輸入された植物。でも、2千年という長い年月をかけてフランスの土壌に適したブドウに品種改良されたわけだが、今から150年ほど前にフィロキセラの虫害によってほぼ壊滅してしまった。

フィロキセラは、ブドウの品種改良のために北アメリカからブドウの木を輸入したときに一緒についてきてしまった小さな虫で、そのせいで、フランスのブドウはほとんどが接ぎ木をしなければいけなくなった。この映画でも接ぎ木のことを、アメリカ人との結婚という形でストーリーに埋め込んでいる。最終的には、結婚したフランス人女性は故郷に帰ってきて主人公と結ばれたわけだが、たぶん、接ぎ木をしなくても生育できるブドウの復活がフランス人の切なる願いなのだと思う。

主人公は20歳で家を出てワイン評論家として大成した人物。でも、まだ若いのに機械や技術を嫌っていた。たぶんだけど、テイスティングによるワインの評価は、技術が向上することで機械による成分分析によって自動的に点数評価ができるようになって、そのうち評論家はAIによって淘汰されてしまう未来が見えたから、彼にとって機械や技術は敵に見えたのかなって想像してしまう。

また彼は重機を使わなかった。重機を畑に導入するとその重量によって地面が圧縮されて、踏圧によって悪い影響が出ることが近年になって徐々に明らかになってきている。根の伸長が抑制されたり、あるいは、地下の酸素量が減少して、そのせいで嫌気性の微生物が増えてメタンが排出されたり、いろいろ弊害はあるらしい。だから植物の生育を考えると重機はなるべく使わない方が良いらしい。(しかし現実的に重機を使わないわけにはいかないけど)



ところでブドウを収穫した後、主人公と女性のラブシーンがあった。醸造所でおっぱじめて、オイオイってつっこみたくなったけど、ワインの生育と、人間の生育をかけているんだろうなって何となく意図が伝わってきた。仕込んでたからね。

この映画ではブドウの収穫時期にこだわっていた。ブドウは収穫されると畑から離れた場所に移される。畑がブドウの家だとしたら、収穫は家から外に出ることに相当する。主人公は20歳ですぐに家を出た。だから主人公は早摘みのブドウだ。それに対して父はずっと家から出なかった。収穫せずにいるとブドウは腐ってしまう。父の心が病んでいたのはそういうことだろう。

そもそもブドウ自体が西アジアの住み家から外に出てフランスまで旅をし、そしてフランスワインは世界を席巻した。だから人間もそうあるべきだっていう寓話。主人公の兄弟は料理人だったが、フランス料理もまた世界を席巻する存在であることを物語っている。飲み物や食べ物は人間の血となり肉となる。いわばそれらは人間そのものと言っても良くて、過保護にする必要はないけれども、人間を育てるように大事に育てようというお話。

ちなみに、日本の名前が登場したのはボジョレーヌーボーが大好きだからかもってちょっと思った。ボジョレーはブルゴーニュだし、ヌーボーは新酒のことで、主人公が初めて作る新酒を日本が欲しがったという意味にも、ちょっと強引だけど解釈できなくもない。日本はフランスから見れば地球の反対側で、そこまでフランスワインの名声が届いているという意味にもとれる。

でも、主人公が新酒を作る決意をする前に日本は畑を買おうとしていたから、やっぱ違うんじゃって思っちゃうけど、ボジョレーヌーボーって日本は世界で一番早く解禁される。フランスから見たらそれはフライングみたいなもので、だから、主人公が決意する前にもう動いてましたよっていうことなのかも。そう考えるとちょっと面白いw