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敵こそ、我が友 〜戦犯クラウスバルビーの3つの人生〜のodyssのレビュー・感想・評価

4.0
【考えさせられるドキュメンタリー】

たいへん面白いドキュメンタリーです。

「面白い」という意味には色々ありまして、まず単純に元ナチの戦犯追及のドキュメントとして面白い。ナチの戦犯が南米に逃亡する例はわりによくあることですが、この映画ではローマ・カトリック右派の手引きがあったらしいと匂わされていますね。

この映画では触れられていませんが、戦時中にナチがユダヤ人などを虐殺していても、当時のローマ法王があまり抗議しなかったという事実があります。これについては諸説あるのですが、ローマ・カトリックの最大の敵は共産主義=ソ連だったので、共産主義の防波堤としてナチ=ドイツを位置づけると、ナチに対してあまり抗議することは適切ではないと考えたからだという説があります。この映画で、ナチ戦犯の南米逃亡をカトリック内部の右派が助けた可能性があると示唆されているのは、その意味で興味深いのです。

念のため、カトリック内部にも色々意見がありまして、法王はナチに厳重に抗議すべきだという人もそれなりにいました。特にユダヤ人などが迫害されているのを現場で見ている下級聖職者にはそういう人が多かったようです。現場の人間と管理職の意見の食い違いは、何も企業だけに見られる現象ではありません。

そしてフランスがあくまでナチ追及をやめなかった、というのも面白い。バルビー側は最後では、レジスタンスを迫害したのは当然と述べつつ、ユダヤ人児童への迫害については認めていないのも、こういう場合にありがちなことではないかと考えさせられました。なぜなら、児童の迫害はいかなる理由を付けようと正当化されませんが、レジスタンスというのは最終的にフランスが戦勝国になったからそう言えたわけで、かりにナチ=ドイツ側が戦勝国になっていたら「単なる叛乱分子の不当な行為」で片づけられていたはずだからです。アメリカでも白人の西部開拓に対するインディアンの叛乱はながらくそう位置づけられていたし、昨今は原住民の権利が声高に言われているのでさすがにもう通用しなくなっていますが、だからといって白人がみなアメリカ大陸から撤退するわけでもないし、アメリカ合衆国がインディアンに謝罪して国家たることをやめるわけでもありません。

また、フランスが戦勝国というのもそもそもがあやしいわけで、フランスは第二次大戦でドイツにあっという間に敗れてヴィシー政権という傀儡政権によっと統治されるようになり、ドゴールは海外から徹底抗戦を叫んでいただけであり、アメリカは、英国はともかくフランスなど戦勝国の名に値しないと見ていたでしょう。逆に言えば、戦勝国と言えるかどうかあやしいからこそ、戦後も必死になって戦犯追及を行い、自分の正統性を訴えなければならないのがフランスだ、ということです。

私は個人的には、最後に登場するバルビーの弁護士にかなり共感するものです。バルビーはだれもがやっていることをやっただけだ、と。これはかなり極端な言い方ではありますが、バルビーの2回目の人生、つまり戦後は戦犯として扱われるべきところを、反共のアメリカによって諜報活動に使われたというあたりが、人間社会の複雑さを示しているとは思うわけです。

この映画は、ファシズム側の人間を反共という理由で仲間に引き入れるアメリカ側の態度に批判的な意見を多く紹介していますが、もしそれを言うなら、資本主義と共産主義が第二次大戦に際して反ファシズムで統一戦線を組むのもおかしい、ということになりはしないでしょうか。アメリカとソ連はそもそもが相容れない国家体制にあったので、たまたまナチ=ドイツという敵がいたから手を組んだわけですが、独ソ不可侵条約にも見られるように、実際にはソ連はファシズム側と手を組む可能性もあったわけだし、体制的に見ても、反ナチということでアメリカとソ連を仲間扱いするよりも、思想統制や収容所の存在という点でソ連とナチ=ドイツのほうがはるかに近かったと見るべきでしょう。

つまり、映画製作者の視点の限界を考えさせられるという面白さもある作品なのですね。
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