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コンタクト(1997年製作の映画)
3.9
 太陽系の惑星・地球のあまりにも美しい映像。そこにケネディ暗殺、公民権運動、赤狩りなどの幾つかのアメリカの20世紀史を象徴する音声がコラージュのように散りばめられ、やがてその眩い光は少女の左側の瞳に集約される。彼女の名はエリナー"エリー"・アロウェイ(ジェナ・マローン)。W9GFOとして短波でアメリカ中と交信する少女は遂にフロリダ州ペンサコラとの通信に成功する。壁に貼られたアメリカ合衆国の地図、ピンが刺さり、糸で結ばれた交信地図。その様子を温かい目で見つめるテッド・アロウェイ(デヴィッド・モース)の姿。だがその平和な日々は長くは続かない。彼女は地球外生命体からのメッセージの探究をテーマに選び、科学者からの嘲笑や成功の確率の圧倒的な低さにも関わらず、何年も宇宙からの電波の観測を続けていた。マサチューセッツ工科大学を経て、SETI(地球外生命体探査)プロジェクトの研究者として独り立ちする彼女の描写は、今作の原作者であるカール・セーガンのキャリアそのものである。プエルトリコにあるアレシボ天文台への赴任時代、彼女は盲目の科学者ケント・クラーク(ウィリアム・フィクナー)らとSETI(地球外生命体探査)プロジェクトの意義の部分で共鳴し、研究に没頭する。プエルトリコでの朝食、サイエンス新聞片手にビールに口をつけたエリーの目の前にパーマー・ジョス(マシュー・マコノヒー)が座る。いかにもプレイボーイな彼に今夜の夕食を誘われたエリーは二つ返事で彼の誘いを受ける。

 エリーの父親テッド・アロウェイが亡くなったのは、彼女が9歳の時だった。心臓に爆弾を抱えていた父親は発作を止める薬を2階の洗面所に保管していたが、1階で突然心筋梗塞の病に倒れる。エリーが望遠鏡で初めての星を見ようとした矢先の出来事だった。母親は既に彼女の物心がつく前の0歳の時に他界し、父親を一瞬で亡くした彼女には兄弟はおろか親族すらもいなかった。それ以来、彼女は天涯孤独のヒロインとして、ここではないどこか=宇宙への思いをより強くする。エリート科学者として順風満帆に見えた彼女の活動を妨害するのは、SETI(地球外生命体探査)プロジェクトで彼女の師とも言える存在のデイヴィッド・ドラムリン(トム・スケリット)だった。彼は科学者の肥大した妄想に金を使うべきではないと暗に彼女の活動を否定し、予算の大幅な縮小を宣言する。彼女のライフワークだったSETIの活動は前半部分で早くも暗礁に乗り上げるが、皮肉にも宇宙からの不透明な声が彼女を後押しする。SFXでクリントン大統領を召喚したり、ゼメキスお得意のCG技術による映像マジックは科学が行き着く先には常に国家の思惑が不可避なものとして描かれている。エリーやジョスや幾多の名もなき若者による歴史的発見は、彼女たちを危機に陥れようとしたドラムリンやマイケル・キッツ(ジェームズ・ウッズ)らの思惑により巧妙に搾取される。

 個人vs国家の図式に搦め捕られるヒロインの図式は来たるべき21世紀のアメリカの流れを実に的確に捉えていたと云わざるを得ない。搾取する側だったドラムリンに起きた悲劇は、ボンヤリとではあるが9.11を想起していたと云えるのではないだろうか?だが問題は今作がエリーとパーマー・ジョスの関係性に科学vs宗教というアメリカ国民の根源的な問題を対立軸に据えつつも、政府との陰謀めいた駆け引きや男女のロマンスを含め、あまりにも正統なSF映画の要素からかけ離れた事象をあれこれ盛り込んだことに尽きる。SF映画においてこれ程折り目正しく何度も公聴会や裁判の場面を繰り返した映画はあまり類がない。一貫してアメリカ政府の見解からは蚊帳の外だったエリーが謎の資産家ハデン(ジョン・ハート)の尽力というウルトラC案で強引に国家を突破していくのが実に痛快である。一方でアルフォンソ・キュアロン監督による2013年の『ゼロ・グラビティ』における物語のSFX技術の進化への待機の姿勢を見ると、果たして90年代のまだ小手先でしかなかったSFX技術が、科学vs宗教という仰々しい対決を後押しする背景として優れた装置になったかは疑わしい。科学技術によって、果たして人間が幸せになれるのか?という究極の命題は、「国家の魂の主治医」とヒロインに揶揄された男の心をも深い葛藤で揺るがす。『フォレスト・ガンプ』の次作として製作された物語は、科学vs宗教、唯物論vs観念論を宇宙の領域で対比させたあまりにも早過ぎた崇高な理念を持ったSF作品として今日まで語り継がれている。
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