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コンタクトのkuuのレビュー・感想・評価

コンタクト(1997年製作の映画)
3.8
『コンタクト』
原題 Contact.
製作年 1997年。上映時間 150分。
地球外の知的生命体と接触した女性の姿を描くSF超大作。
科学と宗教、頭脳と心、ヒロインの心の成長、恋人たちの物語などさまざまな要素を盛り込んだ多面的な物語の構造が魅力。
96年に他界した宇宙科学者カール・セイガンの同名小説(邦訳・新潮文庫)に基づき、セイガンと妻アン・ドルーヤンが映画用原案を作り(共同製作も)、ジェームズ・V・ハートとマイケル・ゴールデンバーグが脚色。
監督には『フォレスト・ガンプ 一期一会』のロバート・ゼメキスあたった。
製作はゼメキスと、彼のほとんどの作品に参加しているスティーヴ・スターキー、製作総指揮はジョーン・ブラッドショウとリンダ・オブスト。主演はジョディ・フォスター。
共演はマシュー・マコノヘイ、ジェームズ・ウッズ、ジョン・ハート、トム・スケリット、アンジェラ・バセット、ウィリアム・フィクナー、デイヴィッド・モース、ロブ・ロウほか。
地球外知的生命体と人類の接触を描いたカール・セーガンのベストセラーを映画化。

地球外知的生命体の存在を研究している天文学者エリーは、ある夜、未知の電波をキャッチする。それはヴェガ星からのものであり、地球上の映像と謎の設計図が納められていることが判明。
それはヴェガ星への輸送機関であった。
急ピッチで基地が建造されるが、エリーはパイロットの選考から洩れてしまう。
だがテロリストによってヴェガへの発進基地は無残にも破壊されてしまう。。。

ジョディー・フォスター演じる、天文学者エリーのイカレタような信念と学者魂が強烈に輝いとる。
作品を観終え、
ふとシュリーマン(ドイツの考古学者、実業家。
幼少期に聞かされたギリシア神話に登場する伝説の都市トロイアが実在するって考え、実際にそれを発掘によって実在していたと証明し人)を思い出したかな。
今作品は始まりは、地球の電波が宇宙に広がって何者かに聞き取られるのを予想させっかのよう。
今作品でもう一つ感じたのは、地球から出発した視界は太陽系を銀河系を、そして、銀河団を離れ、数千万の銀河を含む宇宙全体を一望したその瞬間、宇宙の闇が少女の瞳の闇にとけ込むの。
そこは、末筆に記す華厳と云う思想を思う。
ハム無線に熱中する少女が、エリーの少女時代。
その綺麗な瞳は才気を感じさせる。
今作品の最大のテーマは、人間と宗教、そして、科学のかかわり合いが論じられてる。
宗教は人間にとって何なんか。
無宗教大国日本(小生も数年前までは100%に近い唯物論者だったんですが)は、人々が真剣な態度で宗教と科学について論じるのには違和感があんのとちゃうかな。
エリーは科学者やし、論理的に神の存在は認めない。
地球外文明との対話は、数学という宇宙に普遍的知識が必要やと主張するエリーに対して上司は人間の文化としての神への畏敬の念を、人類の代表が持つべき特性やと主張して代表に選ばれるが、科学を否定する狂信者集団に爆殺されちゃう。
宗教ってホンマ必要なんか。
小生は人が個人として信心を持ち、安らぎや支えになるなら大いに必要なんじゃないかと思うし、他者を巻き込み始めたら違う方に向かい、そんなのは必要ないと思ってます。
その答えを今作品が準備しとるわけちゃうけど、宗教は必要ないと考えとる多くの人にとって、装置を爆破した狂信者集団こそが宗教の本質に見えるはず。
んで、話はそれで終わらへんねんなぁ。
予備の移動装置に乗り、エリーはついに時空を越えた旅をする。
何やかんやは割愛して、エリーが再び気が付くと、地球に戻ってで、地球では全く時間が経過してへんかった。
エリーは別の文明に接触したという証拠を示すことがでけへんねんなぁ。
エリーはそれでもなお、自分の経験を主張するしかない。
それはまさに、神と会ったと主張する宗教家と同じ。
科学が最終的に宗教に戻ってきてしまった。
エリーが会った存在を、神と呼んではならない理由はあるかな。
人間は、人間をはるかに越える存在を果たして語ることができるやろか。
小生も、臨死体験を経験をしており、光り輝くものを心肺停止中に見ている。
小生はそれを神と云うより女性的な何かに感じた。
神や仏は存在するんやろか。
もし存在するんやったら、神や仏とは何なんやろ。
無宗教の人の多くは、考え抜いた末の確信を持って神や仏はいいひんと云ってる人は少ない。
真理に対する真摯さの差が、社会の規範が崩壊した現代社会でいかに個人が規範を持つかという点において、日本人が欧米人に及ばない原因の一つなんやろ。
イカレタ新興宗教は欧米にも日本にもあっけど、日本は伝統的宗教が新興宗教と同じ程度の影響力しか持ってへん点が大きく異なる。
そやから、星占いや血液型占いなんかが、かえって日本人はうさん臭い非科学的思想の餌食になりやすくなっとる。
占いを否定してるのではなく、あくまでもポジティブに捉えれる占いならいいんやけど、それを人生の指針にしてるなら問題があり、隙が生じる故に餌になりやすいと云いたい。
神や仏の存在を信じることは本能なのかも知れへんけど、分からないものをただ受け入れる無批判の精神が、最も批判されるべきもんちゃうかな。
未知の物に対して常に、自分の体験に対してすら、批判的に接することを怠らないエリーは、だからこそシブい。
今作品は色々考えさせられる作品で面白かったです。

末筆ながら、お盆休みをひかえ徒然に。
華厳経って仏教のお経がある。
華厳経は仏教のニューウェーブとも取れるかな。
思想が反映されて東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏さん)があり、今じゃ鳴りを潜めてるが華厳宗派もある。
それってのはメチャクチャ雄大なお経で、その中に(ちょい長いが)
『一塵の内に於いて、微細の国土にして、一切の塵に等しき[多くの国土]が、悉く[その]中において住す。
一切の世界に、種々の形有り、悉く其の中に於いて、尊き法輪を転ずるは、これ供誓の願、自在の力[によるもの]なり。
一々の塵の中に、一切の刹[くに]を現ず。
たとえば幻仮の如く、又虚空の如く、諸々の心業の力の、荘厳する所なり。
一々の塵の中の、衆生の数に等しき、諸々の仮仏の雲の、神力も自在なり。
微塵の中において、善く仏刹を住す。
盧舎那仏の、法を現ずることは是の如し。』
なんか抹香臭すぎるが、無限に微小なるもののうちに無限に大きなものが存在しとる。 
どのような物質でも、原子と原子の結合で成り立ってる。
その原子もまた、原子核とその周りを回る電子から構成され、原子核は陽子と中性子で構成されている。
その奥はまだ未開だと云え何らかの結合やもしかしたら『混沌』としてるかもしれないが、仮に『混沌』なら、それが結合して、我々も存在してるって云える。
一切の事物は相互に連関し合って成立してると説くのが華厳経の趣旨なんやけど。
一即多。一すなわち多。
多即一。多もまたすなわち一。
って云われてる。
翻って、
色は空(くう)。(形あるものは無いようで関連を持って存在する)
空は色。(まるで無いかのように存在するものが関連しあい形となす)
般若心経の真髄にも通じる。
華厳の考えや、般若心経が即お釈迦さんの教えとは云えへんが、お釈迦さんはおそらく、その理論を体感で理解してたんちゃうかと。
ドイツの数学者、天文学者、物理学者であるカール・フリードリヒ・ガウスが
"ガウスの素数定理”
を考えたように。
つまり、この映画のエリーが言葉に出来なかった、言語を超えた何かを、理解し得た者が聖者と呼ばれてる人たちなんちゃうかと。
ソクラテス、孔子、老子、勿論、ブッダにイエス、そして、ムハンマド。。。エトセトラ。 。。
形は違う宗教や哲学やけど、その思想が関連し結合させてんのは
『真理』
なんやとは机上の理論ではわかるけど、この真理は芸術にも通じてるような気もしてるのは、小生の体感で考えることやけど、ヴィジュアルでその一端でもいつか覗いてみたい。。。
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