春とヒコーキ土岡哲朗

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズの春とヒコーキ土岡哲朗のレビュー・感想・評価

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「映画」についての、高度なメタ映画。

物語は、終わらなければいけない。未完成の西部劇映画に迷い込んだ、春日部の住人たち。彼らの脱出に必要なのは、映画を終わらせること。主人公が、悪を倒したり、成功を収めたりするために、物語は完結に向かう。そんな、物語の最大の目的である「おわり」へ向かうことを描いた作品だ。つまり、この映画が終幕で示すテーマの一つは、「物語は、終幕することで意味を示す」ということ。

それを、西部劇というジャンルにして描く。本作のタイトルにもあるように、西部劇と言えば「夕陽」というイメージもある。映画世界の時間が止まってしまっていることを表すために、太陽が止まっていることが強調される。これは、実に上手い!時間の停止を表すと同時に、夕陽が現れない=西部劇が終わらない、というメタ的な暗示までこなす。
また、春日部から迷い込む人が最初に放り込まれるのが、ある“封印”やロボの姿が見られる荒野というのもミソ。観客に対する伏線でもあり、映画が、春日部市民に完結のヒントを与えるための「この伏線を使え!」でもある。

薄れてしまう、元の自分。みんな、西部劇の生活に染まっていき、春日部のことを忘れてしまう。しかし、風間くんやマサオくんは、春日部のことを覚えていながら、忘れようとしていた。それまでの自分をリセットし、自由に新たな自分を作ろうとしていた。なりたい自分になるために、元の自分を否定し、過去とむりやり決別する。だが、過去に嘘を吐いた上での自分は、本当の姿ではない。ありのままの自分で覚悟を決め、ヒーローになる。カスカベ防衛隊の成長としても、西部劇の完結のためにも、ヒーローになることが解決策となるのだ。忘れてしまった合言葉「カスカベ防衛隊、ファイヤー!」を思い出すシーンは、その二つが重なっているから熱い。