Jeffrey

世代のJeffreyのレビュー・感想・評価

世代(1954年製作の映画)
4.0
「世代」

冒頭、石炭を盗むべく列車に飛び乗る若者達。女性の指導者。酒場での復讐。炎上する建物、螺旋階段での銃撃戦…本作は1954年にアンジェイ・ワイダが初監督した長編デビュー作で、この度BDにて久々に鑑賞したが素晴らしい。原作脚本はボフダン・チェシコで、監督の"抵抗三部作"の記念すべき第一作である。「世代」は一般に、ポーランド派の始まりを告げる作品だとされている。同時に本作は、ワイダのいわゆる"戦争三部作"、つまり第二次大戦期におけるポーランドを主題とした彼の初期作品群の端緒を告げる作品でもある。ワイダ自身は、戦争三部作を手がけた動機を説明していて、13歳の時に戦争が始まって、1939年の戦争に参加することはできなくて、やがて占領され、再び国のために貢献するチャンスはほとんどなくなってしまったそうだ。

彼は国内軍の兵士になったが、まるで重要でない防衛地区の兵士になって、ドイツ軍の報復が彼に及ぶ事はなかったそうだ。おかげでワイダは、戦後を描いた自分の映画…とりわけ最初の3本、あるいは4本でもいいのだが、他の人たちが立派で興味深く波瀾万丈な人生を送ってきたと言うのに、こうした困難で危険な経験はどういうわけか彼を素通りしてしまった事実に対する、ー種の償いだと言っていた。ちなみに4本でもいいと言っていたが、そのタイトルは多分「ロトナ」がそこに加わるんだと思う。

"戦争三部作"は、20世紀ポーランドに置いてこの国が最も悲劇的な状況に置かれた時期(1939年から1945年にかけて)を舞台にしている。すなわち、同国がヒトラー率いるドイツ軍とスターリン率いるソ連軍の戦闘地域となった時期である。1939年8月23日に結ばれた独ソ不可侵条約に続き、ポーランドはナレフ川、ヴィスワ川、サン川に沿って分割された。ポーランド国民は当初この計画に抵抗し、1939年9月にナチスと短く激しい戦闘を交えたが敗北し、その結果1945年の国土解放までドイツの支配下に置かれた。この時期、ユダヤ人とポーランド人の財産や企業は没収され、ポーランドの文化、教育機関の大半が廃止あるいは機能停止された。生活物資は不足し、人々は発覚すれば投獄、国外追放、死刑といった処罰の街受ける闇取引を行わなければならないこともあったそうだ。

また、ユダヤ人を匿った場合にも死刑となった。さらに、ドイツ軍は少数の抵抗者を発見するために地域の全家屋を急襲し、恣意的に住人を逮捕したり処罰したりしたそうだ。その結果、多数のポーランド人が強制収容所送りになったり、ドイツ人農場で強制労働に追加されたりした。しかし占領軍のそうした制裁にもかかわらず、軍、大学、出版といったポーランド人による地下活動は盛んに行われていた。「世代」で描かれるのも、当時多くのポーランド人が送っていた二重生活、昼間はドイツ人が操業する工場で労働したり学校へ通ったりし、夜間はサボタージュ活動を組織し、ユダヤ人を援助し、ポーランド史を学ぶなどである。本作では当時ドイツ軍が行ったユダヤ人に対する迫害、それに対するポーランド人たちの反応が随所に描かれていると思う。

そうした中で最も印象深いのが、ワルシャワのユダヤ人ゲット(居住区)放棄を描いた場面である。ユダヤ人は、、大戦勃発当初から大量処刑や残酷の迫害の対象にされ、病気とケガが蔓延する400カ所のユダヤ人ゲットーに追い込まれ、閉じ込められた。中でも最大規模のゲットーがワルシャワゲットーで、45万人のユダヤ人がここに入れられていたそうだ。1942年1月のヴァンセー会議で、ナチス占領下のユダヤ人を絶滅させることが決定され、占領下のポーランドに複数の絶滅収容所(アウシュビッツ、マイダネク、トレブリンカ等)が建設された。そして、ヨーロッパ全域にいるユダヤ人が貨物列車でこうした収容所へ輸送された。こうした中、1943年4月から5月にかけて、本作で描かれたワルシャワゲットー蜂起が起こる。この蜂起は成功の見込みのないものだったといわれるが、圧政者に対するユダヤ人の抵抗を象徴するものとなったそうだ。

本作では、ユダヤ人に対するナチスの迫害を歓迎し、ときには楽しんでさえいるポーランド人がいたことを明らかにしている。あるいは、ゲットーの壁のすぐ近くにある(ドイツ人が建造したと思しき)や外資の場面では、燃えているゲットーからポーランド人の目を逸らせ、あまつさえユダヤ人が苦しむ様を見せることでポーランド人を楽しませようとするドイツ人たちの意図を感じさせる。同時に、この場面はポーランド人の中にユダヤ人の敵意を持ち、彼が一掃されることを歓迎する人間がいることを示唆する。実際のポーランド人の振る舞いとしては、どさくさに紛れてユダヤ人の金品を強奪したり、ナチスに密告したユダヤ人を売り渡したり、極右民族主義者がユダヤ人を迫害したりしたほか、ナチスや右翼勢力の反ユダヤ人プロパガンダに煽られ、ユダヤ人をゲットーに隔離することを簡単に認めたポーランド人は多かったと言う。

その反面、危険を顧みずユダヤ人を助けようとしたポーランド人も少なくなかった。1944年末までに、ナチスはポーランドの前ユダヤ人30万人中約9割を殺害し、ポーランド人社会を事実上抹殺していたと言う。本作の原作者、脚本家ボフダン・チェシュコは、占領期に監督のアンジェイ・ワイダと同じような経験をした世代にあたり、原作(とその映画化である本作)にもそうした経験が反映されているとの事。実際、物語はナチスドイツがポーランドを支配、管理していた時期(1942年)に、成長途上にあった少年たちが体験する出来事を描いている。物語の舞台となるのは、ワルシャワの労働者階級が居住する地域である。主要登場人物は、そこに住む2人が若者スタフととヤショ。そのうちスタフは迷わず地下組織に入り、もう1人は後にようやく参加することになる。

ヤショはユダヤ人ゲットーが蜂起した際に助け人に駆けつけ、悲劇的な死を遂げる。また、活動家の娘ドロタを描いた挿話が織り込まれるが、この娘もやがて逮捕され(おそらくは)死ぬ。スタフら若者たちは、いわゆるコルンプ世代に属している。これコルンプ世代とは、1957年に作家ロマン・ブラトニィが発表した小説"1920年生まれのコルンプたち"に由来する名称で、第二次大戦の苛酷な体験によって多くのもの(若さ、無垢、あるいは人生までも)を失った世代のことを指す。「世代」においては、彼らのコルンプ世代の若者たちがイデオロギー的に成熟して、反ナチ闘争や共産主義に関与していく。主人公スタフは、単純かつナイーブな若者で、彼にマルクス主義思想を教え、共産党系の人民軍への参加を促すのが、工場の職工長の1人(であり、父親のいないスタフにとって第代理父的存在である)セクラと、女性活動家ドロタである。

上記のような設定も人助けとなって、表面上、映画「世代」のプロットは同時代の他の多くのポーランド映画に似ているが、これはチェスコの原作自体が1950年代初頭の政治的慣用表現(スターリン主義期特有の社会的リアリズム)にかなり寄り掛かったものだからだとのことだ。そうした形式的内容を備えているにもかかわらず、映画世代は戦後ポーランド映画の転換点の役割も果たした。つまり、社会主義リアリズムからポーランドへの橋渡し的役割である。出演者の1人であるロマン・ポランスキーは、「世代」をかなり重要な映画と位置づけていると述べているし、素晴らしい経験だったと思言っている。それに本作を一風変った若い映画だったとも言っているが、その真意は、当時のポーランド映画界の文脈を眺めてみて、初めて明らかになるんだろうと思う。

まず、「世代」に登場する若者たちは、1950年代前半が他のポーランド映画で支配的だったように堂々とした人物として描かれる事はなく、ごく控えめに(等身大の若者として)扱われている。つまり、登場人物たちに英雄的なところがあったとしても、彼ら自身はそのことを自覚していないことが示唆されている。さらに、若者たちの心理や行動を描くにあたって、彼らの内的葛藤や曖昧さが強調されている。これは社会主義リアリズムにおいては有るまじき行為だったとされる。もう一つ、スタフと並ぶ主要登場人物であるヤショの扱いに、本作の特異なあり方を見てとれる。ヤショは自分のことを共産主義者だと言うが、人民軍には積極的に関わろうとせず、ドイツ人を射殺したことを(最初は得意になっているが)徐々に嫌悪するようになる。

また、彼がユダヤ人ゲットーの蜂起に加勢しに行った際にドイツ兵に追い詰められ自殺する場面は、社会主義リアリズムの楽天的な世界とも逆の悲劇的感覚に支配されている。つまりヤショは、ポーランド的ロマン主義を体現する人物であり、後のワイダ作品「灰とダイヤモンド」の主人公マチェクの前身的な人物だと言える。さらに、同年代の男達よりも冷静で成熟した女性ドロタが最後にゲシュタポに逮捕、連行される場面にも、本作の反=社会主義リアリズム的姿勢を伺うことができるのかもしれない。そして、彼らの自己犠牲の描写は、先に述べたユダヤ人に対するー部のポーランド人の反感描写を和らげる(あるいは上回る)役割を果たしているように見える。様々な要因が作用した結果、"一風変った"映画「世代」が出来上がったと思われる中、その要因の1つに、製作として関わった人員がほぼ同年代の若い世代で占められていた事実を上げることができるとされている。

監督のワイダ(26年生まれ)、原作、脚本のチェシュコ(23年生まれ)、撮影監督のリプマン(22年生まれ)、音楽担当のマルコスキ(24年生まれ)から出演し俳優たち(若者達を演じた俳優は、20代後半から30代前半にかけての生まれ)に至るまで、全員が若く(20代後半から30代前半)熱意を持ち、旧世代的な偏見を持ち合わせていなかった事は容易に想像がつく。彼らは独自の視点を展開し、イタリアのネオレアリズモの影響を受けた街頭撮影を取り込み、自分たちの経験を反映させた新たな語り口を発見しようとしていたのかもしれない。実際、「世代」は習慣的なスタジオ撮影をできるだけ避けて補助的な場面のみに留め、雨や曇りの日に街角でロケーション撮影を行うことで、新たな現実味を画面に付写させていると言われているようだ。

同様に、セリフもわざとらしさを避けるために陳腐なスローガンや偏った言い回しに頼ることをしていない。こうしたセリフに対応して実現したと思われる、俳優たちの演技の自然さもその特徴として指摘される。完成作は、ポーランド当局からは否定的に受け取られた。ワイダ自身はこの時のことを、健全なポーランド労働者階級ではなく、ルンペン=プロレタリアート的な環境を選択した嫌疑を受けた、と述懐している。また彼は、過度の暴力描写を作品中に盛り込んだことも激しく非難されたと言う。一方、批評家たちは映画を肯定的に捉えたが、評価はそれほど熱狂的なものではなく、賛否両論だったと言われる。否定的な評価としては、反政府よりの評論者は、物語の中に残存している社会主義リアリズムを、政府よりの評論者はネオレアリズモ的方法の援用(当時ネオレアリズモ作品の上映は、ポーランドで公式に認められていなかった)を、それぞれ非難したと言う。

逆に肯定的な評価としては、陳腐な子供騙し的表現の代わりにその新鮮なリアリズム描写を称賛したものがあり、肯定するにせよ否定するにせよ、「世代」がポーランドにおける新旧の相反するリアリズム概念を内包する作品であり、この作品に対する評価がその写実的表現様式をめぐってなされたことをうかがわせるとのことだ。
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