前方後円墳

こぼれる月の前方後円墳のレビュー・感想・評価

こぼれる月(2002年製作の映画)
4.0
精神障害に苦しむ若者たちの物語。
その映像はとても冷たく、重たい。最初から最期まで。

この物語に救いはない。物語のラスト周辺で光が差し込む兆しはあるが、それは明るく輝いた空間が目の前にあるわけではなく、ただの希望だ。そして絶望もない。今を彼らがどう生きるかを切実に表現しているのだ。ドラマティックな展開も、心に残るような台詞もない。ただ暗澹としたほの暗い映像とボソボソと語られる台詞。そして言葉にできない苦悩があるだけだ。だが、その切実なほどに痛々しい苦しみがじわじわと伝わっていき、何もないその物語に引き込まれていくのだ。

時間軸が飛んだり戻ったりすることが多い。ただ、内容的に難解になることはない。物語は強迫神経症の高(河本賢二)とパニック障害の千鶴(岡元夕紀子)を中心に展開される。二人の物語は交わることなく、別々のものとして語られていく。そして彼らの周りにいる人々とのコミュニケーションから一歩ずつ一日を歩いている様を描いている。
が、どうしても高とあかね(目黒真希)の関係が不可解だ。高もあかねも精神的障害を持ち、病院で出会った彼らは、お互いにそのことを自覚している。が、彼らはいわゆる一般的な生活を目指そうとする。そこで焦る。その結果、さらに苦しむことなる。なぜ、お互いがその焦りと苦しみを共感できないのだろうかと考えてしまう。彼らをつなぎとめるものは共感ではなく、己の救済のためのみではないのだろうかと思えてしまうのだ。人の病気の痛みなど当然、他者にわかるわけでもないが、他愛のないエゴがそのことをないがしろにしてしまうのだ。
逆に、千鶴とゆたか(岡野幸裕)の関係はとても興味深い。特にゆたかは健常者のようでいて、違う意味で精神的にゆがんでしまっているのだ。その彼らが出会い、監禁行動にいたる経緯は痛々しい。ゆたかの寂しさが溢れんばかりである。

健常な者である(ただ自分でそう思い込んでいるだけかも知れないが・・・・・・)私にとって彼らの切実さに共感などできるはずもない。ただ、黙って目の前にある映像を眺め、彼らが苦しんでいるシーンを心に焼き付けるだけなのだ。そして自らのそばに同じように苦しんでいる人が居たときに、自分がどう思い、どう行動するかを考えるだけなのだ。

それにしても岡元夕紀子の演技はすごかった。演技を超えているのではないと思えるほどの鬼気迫る演技だ。