丽遥

少年の丽遥のレビュー・感想・評価

少年(1969年製作の映画)
3.8
少年が最後に本当のことを話しながら流す涙が切ない😭彼が本当の感情を他人の前で発露させることができるようになってよかった😭世界に際して宇宙人にも人間にもなれなかった少年が人間になって流す涙の美しさ😭どちらにもなれない苦しみに共感の嵐😭

眼鏡をかけさせられて見える景色とかワイドスクリーンでできる歪みはそれが少年の見てる世界だったんだなと思わせられた。スクリーンはそのまま少年にとっての世界を映し出していたのかもしれない。少年はラストになるまではっきりと人前で本心を出さないけど、時折黒や藍色、茶色の単色スクリーンになるときは世界から色が消えたみたいでやはり彼は荒んだ気持ちだったり諦念だったり、沈んだ気持ちを抱えていたのかなと。ただそれは少年以外には見えない世界だったんだろうな。少年が夜の海で一人泣くシーンは汀が煌めいていて美しい。

あと、画面を分割するミザンセヌが少年と普通の世界との断絶を表していた。冒頭のお祭りの屋台でのシーンは、本当に顕著で、真ん中に燈籠が並んでて、それが左側の屋台で賑わう人々と少年を相容れないものにしている。屋台の明るさと少年のいる闇は明暗の対比という点からも対照的だった。これの前のシーンで少年は1人でかくれんぼをしているけれど、鬼となって辺りをぐるぐる探し回っても何も見つからない様子は、少年が探しても探しても世界が見つからない感じで悲哀を誘う。からの断絶シーン😭

他にも病院での示談のシーンは、病院の壁によって運転手が左端に寄せられて抑圧された感じになっていたり、旅館でご飯食べるシーンでは、少年の席と他の家族の席が柱で分割されているように見えていたりと画面を分割する演出がよく見られた。

少年が人間になれたのは、やっぱり当たり屋という仕事のせいで人が死んでしまったからなんだろうな。今まで当たり屋である自分たち側が生死に臨界しているような気持ちだったんだろうけど、仮にも被害者側だった自分たちが加害者にしていた運転手が死んでしまった。この逆転で少年の世界認識が変わったんだと思う。

運転手が死ぬ間際に車から目だけを覗かせているショットに、サルトルの対自を思い出した。少年はいつも道路の脇から車の中の運転手がどんな人かを覗き見て、仕事をするかどうかを決めていた。運転手は当てられても少年の心配をするというよりかは保身に走る。だが、死んだ運転手である少女は死の間際に少年を眼差したのだ。彼女は保身や延命よりもまず少年を見ている。当然少年は運転手に自分を見られると思っていないから驚く。その驚く様はやはり車によって画面右半分が隠れている構図で撮られている。つまり、少年の世界に他者の目が入り込んできたのだ。このとき少年は見られる対象である自分の存在に気づき、対自存在となったのである。
丽遥

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