喜連川風連

少年の喜連川風連のレビュー・感想・評価

少年(1969年製作の映画)
2.0
画角、カメラワーク、編集、カット
どれも退屈。
ダラダラと無駄なシーンばかり。

音楽が鳴るたびに、高まる独特の気持ち悪さ。少年の演技・話し方にも、嫌悪感。

自然に演出しようとした不自然さが目につく。
ただ、戦前と戦後が地続きであることを思わせる脚本は冴え渡っている。

戦後世代になると、戦前と戦後を切り分けて考えがちだが、庶民の精神性の中には戦前が残っている。

少年の父親(旧日本軍人)の突撃精神と暴力性は、脆くも犯罪に転用され、少年に牙を剥く。

「デビュー作『愛と希望の街』(1959年)以来常に犯罪を映画のテーマに据えてきた大島渚は、当たり屋事件に衝撃を受けて映画化を決意し、脚本家の田村孟とともに綿密な調査を重ねてシナリオにまとめ上げた。『新宿泥棒日記』や『無理心中日本の夏』などで、全共闘時代の暴力性やアングラブームに支持を表明してきた大島だったが、『少年』では映画づくりの原点に立ち戻り、少年の目を通して見た家族と民族の崩壊劇という自身の一貫したテーマを織り込みながらも、それを誇張のないドラマとして描いてみせて、自身や当時の映画の傾向とは一線を画した。」
Wikipediaより
喜連川風連

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