だった

モード家の一夜のだったのレビュー・感想・評価

モード家の一夜(1968年製作の映画)
4.5
ミサに参列する者たちが一斉に祈りの言葉を口にする中でフランソワーズの横顔を見せる前に、まず彼女の声だけが集団から独立して聴こえてくるのが良い。大きめに録音/整音するのではなく、フレーム単位で少し声を後らせているのか。編集についても、トランティニャンが彼女を窃視するカットの前に一旦挿入されることがキーになっていて、それによって微かな運命の匂わせと独特な緊張感が担保される。

(性的)関心があるのかないのか。聴者側のナメがないヒキめの切り返しの多用、編集によって、やり取りの交差する空間と間は省略され内面は捉え難い。特にバローがベッドに座りながら元カレの悲運を語るロングテイクの次のショット。語り終えた彼女が虚に下を向いてから顔を上げ「雪はまだ降ってるの?」と声をかけた後、窓の外を覗いているトランティニャンの立ち位置のなんて遠いことか。この幽体離脱的なナラティブのあり方によって何処か突き放しつつも、たしかに追想的なオーラが映画全体に立ち込めていると感じる。

自転車に乗るフランソワーズを車で追いかける車内シーンの、なんとも無機質なハンドルさばきが、広場に出て彼女を見失った途端に慌てふためく。その瞬間にそれまで影になっていたバックミラーにトランティニャンの表情が映り込むのは自然光による必然と思われるものの何度みても腰を抜かしそうになる。
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