人類ほかほか計画

悪魔のいけにえの人類ほかほか計画のレビュー・感想・評価

悪魔のいけにえ(1974年製作の映画)
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音声解説で、冒頭の墓場の映像とか「完成版見たらああなってて驚いた」的なこと撮影の人が言ってたのでかなり編集段階で作ってる。フーパーはやっぱかなり感覚的にやってる人。
オープニングクレジットの太陽紅炎の映像をフーパーが「これを見て評論家が騒いだ。何か意味があると思ったんだろうね」とか言ってたけど、何となくのまがまがしいイメージという程度で選んでるとしてもそこにも何かしらの理由があるわけで、この映画は太陽や月の挿入カットがやたら多いけど前半で占星術雑誌を読んで「土星が逆行してるから不吉だわ」とか言うシーンがあったりして、太陽も月ももちろん占星術にとって重要というかむしろ天球上の太陽の通り道である黄道十二宮の星座が占星術を司ってるわけなので、太陽のイメージというのは、暑さとか以上に、逃れられない運命とか動かせない宿命とかそういう宇宙的にどうしようもないことが今ここに起こってるというような悪夢的というか悪魔的というかオカルティックな感覚を潜在意識的にでも感じさせる。
そういう「なんとなく」をセンスでやってる。
ラストシーンの逆光ショットまで太陽というイメージは繋がってくる。そしてラストカットのあのキメキメのカット尻の、あの瞬間で切るというのがどういうことか。はっきり言ってあの瞬間で切る以外ありえない、音含めてあれ以外ない、一コマずれても違うであろうカット尻だけど、あれが「センスでやってます、感覚でやってます」ってことに他ならない。ストップモーションにせずスパッと切ってそのまま黒みにするのは自信の表明。

センスや感覚って言っても何も考えてないのかというとそうではなく「釘で貫かれた時計」とかももう死の暗示以外の何物でもないし、観客の無意識に訴えるような悪夢的表現をちゃんと志向して作ってるのも確実。
点と点として登場した狂人たちがみんな家族だったという展開も運命論的で悪夢的な想像力。

クーラーボックスを開けるときや、ガソスタに逃げ込むときなんかの編集のリズム感の付け方とかもめちゃくちゃ繊細かつ大胆な技。とにかくここぞというところの編集がめちゃくちゃテクってるんだけどその作為を作為的に感じさせず生々しいドキュメント的な印象のままやれてるのが神業。マルチカメラで撮ってるわけでもないのに緻密に別アングルのショットを重ねて細かく繋ぎ臨場感と迫力を出してる。

4Kスキャンしたリマスター版の映像が『キャロル』や『ムーンライズキングダム』のような、今あえて16ミリフィルムで撮った系最近の映画を思わせる質感で、それはそれでよかった。