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大砂塵のFilmomoのネタバレレビュー・内容・結末

大砂塵(1954年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

①ジョーン・クロフォードの衣裳替えが何度も行われる。この衣裳はテクニカラーならぬトゥルーカラーというシネカラーで映し出されるが、原色を使った衣裳が強く印象に残る。真っ白なドレスを着てピアノを弾くシーンや、赤、青、黄色のどぎつい色のシャツが意味するのは、自己主張だと思われる。現実的にはクロフォードは本作の製作に大きく関与したと言われるから、自分の初のカラー作品とあって、自分のファッションショーを見せるというアイデアも通したのかもしれない。このクロフォードに対して映画の後半から彼女たちを追いつめていくのは、対照的に喪服姿の敵の集団である(葬儀の直後に追跡を開始したためだ。このあたりの流れもいい)。原色カラーのヒロインとモノクロの敵との対立が鮮やかである。②この映画が異色と言われるのは、女対女を描いている数少ない西部劇だから。スターリング・ヘイドンつまりジョニー・ギターはヒーローらしきことはしていない。そして、この女対女は、開拓者対超保守主義者という構図であり、こうした抗争の背景には映画の冒頭で描かれる線路の敷設が進んでいた時代というものがある。時代が変わろうとするとき、革新派と保守派がぶつかり合い、時代の流れに合った者が生き残る。保守派は劇中、若者をそそのかしてクロフォードを有罪にする証言を迫るが、これは当時の赤狩りを暗喩しており、赤狩りの被害者に対する観客の同情を掴む。③決着をつけた後、ヴィクター・ヤングが作曲し、ペギー・リーが歌詞をつけて歌った「ジャニー・ギター」が流れ、取ってつけたようなキスシーンで映画が終わる。ここでなぜヘイドンとクロフォードが感無量の表情でキスをするのか?ペギー・リーの歌詞は、ヴィエナつまりクロフォードの心情を歌ったものだ。歌詞で歌われているジョニーは、この物語以前の、拳銃の名手で恐れられていた頃のジョニーである。そしてふたりは別れ、再びこの映画の冒頭の頃にはジョニーは拳銃を捨てていたのだ。だがエマの執拗な攻撃を前に、ヴィエナはジョニーを見て蘇る、歌詞にあるその感情を押し殺していた。いま、その障壁が取り除かれ、かつての感情が噴出したということを意味しているという理解が正解なのかもしれない。
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