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大砂塵のmasayaanのレビュー・感想・評価

大砂塵(1954年製作の映画)
4.8
ついに・・・ついに見ることができた『大砂塵』、大満足でございます。思い出補正ならぬ「ずっと見たかった補正」も多少はあると思いますが(笑)・・・これは傑作!!!

「トリュフォーが唯一愛した西部劇」というキャッチ・コピーは、この映画が放つ魔術の偉大さに比べれば些末なことでしょう。たしかに、黄色、赤といった原色のブラウス、そして、砂と岩と炎に映える純白のドレスは、「ヌーヴェルヴァーグが西部劇を撮ったらこんな感じかも!」といった興味をそそりはしますが、それはこの映画が放つ魔術のいち要素に過ぎない気もします。

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町で一番の乱暴者でありながら、ダンスが得意という男。そんな乱暴者をその美貌と男気で手なずけている、酒場の女主人。そして、その乱暴者に恋心を燃やし、酒場の女主人に炎のような嫉妬心を放つ女。彼女は、倒錯した恋心と嫉妬心で、駅馬車強盗の犯人を例の乱暴者の仕業と決めつけ、保安官をあごで使いながら酒場に押し寄せる。「手に入らぬのなら殺してしまえ」というわけである。映画は基本、この倒錯的な3人の反西部劇的な三角関係を軸に進行する。

その一触即発の現場に、厨房でまかないを食べていた旅の男、それも、拳銃ではなくギターを抱えた男が、ぶらりと割って入る。誰しもが偽名と分かる「ジョニー・ギター」を名乗るこの男の調子っぱずれな仲裁に、場の空気はグダグダと緩み、「てめえ、死にてえのか、なぜ銃を持たない」と問われると、「西部一の早撃ちじゃないからさ」といった具合である。やがてこのギター弾きは、銃だけが法の西部において、殺しあう以外に道はないかに見えた現場をダンス・フロアに変えてしまうのであった。

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どれほど西部劇的に正しい舞台が整えられようとも、ニコラス・レイの手にかかればすべてが映画の前に敗れ去っていく。「西部劇的な一触即発」は「映画的みたいに」仲裁され、「西部劇的な舞台(=酒場)」は「映画みたいに」燃やされるだろう。また、「西部劇的なリンチ」がどのようにして「映画みたいに」回避されるかを見るがいい。そこでは常に、西部劇に「映画が」勝利する力学が働いているのだ。女の一言に逆らえない意気地のない男たち・・・彼らは「西部劇的な決闘」すら女に奪われてしまう。

批評誌『カイエ・デュ・シネマ』が選ぶ「史上最高の映画」、第21位の作品。おススメです!!
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