ぱた

セルラーのぱたのネタバレレビュー・内容・結末

セルラー(2004年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

アクション。

深刻なコミュニケーションエラーを抱えた作品でした。作中の誰もが人に情報を正確に伝えることを放棄していて、情報を受け取った側も何故か自分だけでその情報を捌こうとしてしまっているので、モヤモヤしてしまって。一人で情報を抱え込むと、大抵の場合良くない方へ状況が転んでしまうものですよね。私自身も覚えがあるので、この作品のあらゆる障害は、自らの行動によって起こるべくして起こったインシデントだなと少し苦い気持ちになりました。

また、演出が少し苦手でした。制作側が主人公サイドを孤軍奮闘させたい気持ちも危機を演出したい気持ちもわかるのですが、言わないことで場を混乱させたいという思惑ばかりが目についてしまい、集中力を欠いてしまいました。「警察に伝えるのを諦めるな、電話口から悲鳴が聞こえる、次は子供が誘拐されると騒げ、"お前"が助けないといけない訳じゃねぇ、助けるのは誰だっていいから助ける側を増やせ。自分の個人的な能力とどうしたら家族を救えるのかを考えて行動しようぜ、ライアン」っと主人公の行動にやきもきしてました。犯人側が警察だったから、主人公の猪突猛進が結果的にプラスに働いただけで、情報共有と言葉選び一つで防げたことが多すぎると思ってしまうんですよね。後見バイアスと言えばそうなんでしょうけど。

誘拐事件が好転するような展開へ繋がる会話や助けを求めるときに普通だったら伝える情報などは、徹底的に言葉を省略したり、わざと少し表現をずらしたりしているのに、これから何をする、どうなる、という言葉にしなくても問題ないような状況説明的な台詞が多用されているのも気になってしまいました。台詞だけではなく映像もそのような演出がされているんですよね。例えば、レッカーされた車の中にある携帯を取りに行くシーンがあるのですが、そこに携帯を置いてきた回想描写が入りますし、最後にステイサムに電話をかけるシーンも、相手の携帯のコールが鳴ってから電話を掛けている主人公を撮せばいいのに、どうして臨場感を相殺しに行くのかが分からず、戸惑ってしまいました。

本当に個人的且つ我が儘な話なのですが、もしサスペンスとして作ったのなら、ヒントを丁寧に隠すべきですし、制作側にとっての不都合な展開を潰す台詞を入れる時にはそれと分からないように演出してほしかったです。そうなっても仕方ないよね、という説得力に掛けているように思えてしまいました。本当に「何小生意気なこと言っとんだ、この人」って話なんですけどね。自分の心の狭さが悲しいです。

しかし、全編通して"携帯電話"というツールから重心をずらさなかったのは、製作陣のこだわりを感じて好きでした。エンドロールも遊びがあって良いなと思います。

個人的には、サスペンスと言うより、アクションコメディ映画といった印象です。
ぱた

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