Ricola

悲愁物語のRicolaのネタバレレビュー・内容・結末

悲愁物語(1977年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

漫画みたいにタイヤを体にくくりつけて走ってトレーニングしたり、血が手に滲むほど握りしめて練習を重ねるなど、スポ根ど真ん中かと思いきや、ホラーな女性の登場で一気に雰囲気が変わるのがこの作品の特徴だろう。

どんなに血が滲むような努力をしてきても、人の嫉妬心と世間の野次馬根性に蝕まれて精神まで狂わされてしまう。
なんて残酷なのだろう。


「僕が作り上げたものは何でしょう?」
「決まってんでしょ、幸せだよ」
そう田所がこたえると、れい子の顔のクロースショットが連続で映される。
笑顔や真顔、そして浮かない顔…。
れい子自身はこの「幸せ」を求めていたのだろうか?

暗い夜道で車のライトと街灯の光だけが浮かび上がるショットがとても印象的だった。
その光景のなかで1台の車が走っているのがわかる。それは、どんどん近づいて聞こえてくる音や声だけで判断できるのではなく、画面上で唯一動いているのが一つの光だけということでも判断できる。それはもちろん車のライトであり、どんどんと近づいてきてしまいには画面の真ん中を占拠する。

暗闇は、れい子が売れる前から彼女につきまとっていたが、歯車が本格的に狂い出すとさらに存在感が増してくる。
現実のような(というか思いたくない)、非現実のような目の前の出来事にれい子が直面する。ゴルフの練習スペースは明るく照らされているけれど、仙波(江波杏子)の現れたスペースは真っ暗で、はっきりとした境界線がある。
その暗闇にれい子は引きずりこまれるのだ。

やはりこの仙波こそ、作品の根幹に据えられた人物だろう。背筋が凍るような「悪女」ぶりである。
れい子の恋人の三宅からその非常識な行動を指摘されるとメソメソ泣いて反省したフリをする。三宅が画面手前を占拠しているのに対して、仙波は奥にいて小さくしか映らない。
三宅のいる手前のテーブルの下に、小さく彼女が映っているのだ。
仙波が萎縮したように見えるのも、本当の脅威の前触れかのようである。

仙波の恐ろしさが緑色の顔に反映されている。仙波が何か企んでいるとき、ガラスに緑色の顔が反射して映るのだ。
彼女の笑顔に潜む不気味な裏の顔が、可視化されることがより作品のホラー要素を強めているようだ。

仙波に住居も心も侵食されて、正常な判断ができなくなってくるれい子。
「心からの笑顔」の練習を先生としたけれど、結局それも作り物であり、彼女は本当に心から笑うことはできなくなってしまった。それは多忙な生活以上に、仙波を含む近所の女性たちの異常なほどの私生活への介入ゆえであることは間違いないだろう。

何もかもが凶気に巻き込まれ、全てめちゃくちゃにされてしまう。
しかしその凶気は、仙波一人のものだけではない。三宅や田所、芸能界や大企業の陰謀、そして「普通」の人々が、れい子の純粋かつ美しい魂を破滅へと追い込んだのではないか。
Ricola

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