あんじょーら

別離のあんじょーらのネタバレレビュー・内容・結末

別離(2011年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

アスガル・ファルハーディー監イラン映画、初体験でしたが、かなりヤラレマシタ。映画の完成度や素晴らしさに国籍や撮影された地域監督の国籍などは全然関係ないですけれど、文化の違いから、ニュアンスとして、あるいは刷り込みみたいなものを含めてアラブ圏の文化を知らないことでの浅い理解の可能性があることを認めた上でも、とても素晴らしい作品に仕上がっていると感じました。製作と脚本と監督を勤めたアスガル・ファルハーディー監督の腕は確かなのではないか?とこの1作だけで思えました。また、主演する2人妻シミン役のレイラ・ハタミ、夫ナデル役のペイマン・モアディの演技と存在感も特筆すべきだと感じました。演技はかなり難しい、緊張感ある場面の連続なんですが、しかし見事に演じきっていて、しかも本当にリアルに見えるのです、凄い。





イランの中流家庭である銀行に勤める夫ナデル(ペイマン・モアディ)と大学で英語を教える妻シミン(レイラ・ハタミ)は家庭裁判所にいます。裁判官に向かっていかに自分達が何をすべきなのか?を問いかけています。妻シミンはイランという社会の限界を感じ、異例ではあるものの1年半の時間と費用と手間を費やして娘であるテルメーと共に国外で生活したいと考え、夫ナデルは最初はその計画に同意したものの、父親がアルツハイマーを患ってしまい、そんな父親を残して国外に出ることは出来ないと反論します。さらに娘テルメーは父と共にありたいと考えているのです・・・というのが冒頭です。




非常に脚本が練られたものであって、完成度が高く、またその見せ方が、演出が素晴らしく、とても見応えある作品です。もちろん役者さん方の演技も最高です。この役者さん方の生活する姿のリアリティが、そこを滲み出させる部分が素晴らしいと感じました。



本作が扱っているテーマは非常に多岐にわたっていて、夫婦関係、親子(3代含む)関係、家族間の問題、病気の問題、介護の問題、信仰心の有無、格差ある社会、暴力の恐ろしさ、嘘偽りを行ってしまう人間の弱さ、等等、様々なテーマに対して、フェアでどちらかに【正解】があるようなものではない系の問題を扱っています。そう、すべて生活の中で起こってくる切実な問題を扱っているので、受け手である観客に鋭くその問いを投げかけてきます。



この後、ある裁判が行われていくのですが、その過程で露わにされる真実が、もしくは家族間で話される公的ではない場面の中で明らかになる真実を、観客が徐々に知ることでのサスペンス的な面白さも加わって、エンターテイメント作品としても仕上がっている、素晴らしい映画だと感じました。



単純な爽快感だけを映画に求める方には不向きかもしれませんが、ドラマが好きな方や考えることが好きな方に、ホラー作品を危機管理の訓練と捉える事、出来うると私も思いますが、そういう意味で言えば生活の場の危機管理の訓練が行える映画、とも言えます。



映画「ブルー・バレンタイン」は名作(ポジティブか?ネガティブか?とか、男か?女か?は置いておいて)、と考えていらっしゃる方に、映画が好きな方にオススメ致します。とりあえず今年観た映画のトップです。




で、アテンション・プリーズ。


ネタバレあります、もし観賞された方で感想あれば是非。






























































本当に畳み掛けるような最後の方の展開は素晴らしい。テルメーが父親に数回確認するが如く尋ね、その都度嘘はついていない、と言い切っていたナデルがの嘘を見抜く演出が素晴らしい。その場面を私が思い出しても、ナデルはその場には居たけれど、聞こえていなかったように見えるのに、テルメーの指摘で納得、初めてナデルが嘘であったことを吐露し、その上裁判の席ではテルメー自身がその嘘に(結果として)加担することで激しく傷つく11歳。この辺からの演出、それに伴う伏線、ヤラレマシタ。裁判という形での和解を選択する(相手の主張を1部なりとも受け入れることになる)大人の選択をするナデルが行った一言、敬虔な信者であるラジエーの信仰のチカラに賭けるというやり方、そしてその効果と結末。


シミンの側に立てば、何故引き止めてくれなかったのか?という最初の疑問から出発している為に、後手に回ることになる悲劇性は深く、悲しみも大きい。その上でナデルを立てようと(ラジエーへの接近と補助、そしてテルメーへの配慮)様々なことを行い、現実的に解決するための「和解」という手段を達成するための奔走が無に帰す時の落胆だけではないラジエーへの、同じ女性としての眼差しも感じさせ、結局のところイラン社会という大きなものへの不信感を強めたのではないか?と感じさせました。


娘テルメーにしてみれば、両親は本当の意味での不仲なのではない、一時的別居を経てはいるが、お互いに意地を張ることになるのが分かっていたが為に、離婚という「別離」を生まない為の、父親であるナデルを選ぶという手段を取っている、というように感じました。我慢に我慢を重ねた挙句つきたくない(もしかすると宗教上の理由もあるかも知れません)嘘をつくことになったテルメーの傷つく様子は、それがテルメー自身が両親のためを思って行った行動なので余計に痛ましく、しかし避けられなかった場面のように見え、その構成、演出は素晴らしかったです。


それぞれ、夫ナデル、妻シミン、子どもであるテルメー、そして被害者ラジエー、さらにはその夫、この5人に加え、ナデルの父親までもが、それぞれの立場を、干渉、話し合い、葛藤、決断、に至る流れを丁寧に扱っているからこそ、しかも適度に押さえた演出になっているからこそ、納得してしまう自分がいました。それぞれの立場で考えても、その思考や行動に頷いてしまうのです。その辺りのリアルさ、きっかけは生活の中で起こりうる行き違いが、リアルで誰の身にも起こりうる説得力あったと思います。だからこそ、結末が重い。非常に重く、それぞれが懸命に避けようとしていた事態に終息してしまった、という不条理さが、重く、心動かされました。ナデルの大人の選択の後の一言や、シミンの努力の先(認証されたいという欲求)、テルメーの努力と嘘に加担することでの重荷、ラジエーの優しさから生まれた悲劇、ラジエーの夫の持って行き場の無い怒り・・・それぞれの譲歩した、考え抜かれた選択の結果の不条理、重いです。


そして、誰もがギリギリの選択、観客はそれぞれの嘘や事実を知った上で、映画冒頭の裁判所の場面にロンド形式のように立ち返る構成もぐっときました。だからこその重たい決断を、結局テルメーに託すことの単純に言い切れない、どちらが善でどちらが悪という対立項目ではないグレーゾーンが広がる世界に生きていることを強く意識させられます。まさに「ブルー・バレンタイン」観賞後の世界と共通していると感じました。


個人的には、最後のテルメーの選択を見せないやり方、それぞれ受け手である観客に考えさせる結末、大好物です。で、私が考えるにテルメーは母親を選ぶであろうと推察します。もちろん父親を好きでもあり、両親の離婚を避けるための様々な努力が報われなかった結果にはなりましたが、母親との関係が出来上がって、信頼になっていたからこそ、父親の基に残ることで母親が訪ねてくる機会が増え、両親が話し合い、離婚を防ぐことが出来るのでは?と考えていたのであるように見え、そうであるなら、恐らく母親を選ぶのであろうと。


最後の最後に残った謎、それは盗まれたというお金について、です。このポイントが無ければかなり変わった結末になりえる重要な伏線だったのが、ここだけ回収されない部分の蟠り、あるいは意図されているのか分かりませんけれど、この回収だけが無いことが帰って不安感を強めます。一体誰が盗んだのか?もしくはナデルの狂言だったのか(ラジエーを早く追っ払うための)?テルメーがお金の味をしめた(そういえば伏線になりうる、お釣りを回収させるナデルとのシーンあり!)のか?、もしくはおじいちゃんが持っていってしまったのか?それとも本当にただ単に第三者が盗んだのか?想像をいろいろしてしまいます。