ヤンデル

ティファニーで朝食をのヤンデルのレビュー・感想・評価

ティファニーで朝食を(1961年製作の映画)
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・トルーマン・カポーティの原作では冒頭のようなティファニーの前で朝食(パン)を食べるシーンは一切なく、タイトルは例え話としてだけのもの。

・オードリーが演じるホリーは「赤いものがやってくる(ブルーになる…ではなく)」といって落ち込むが、これはブルーな気持ちが激しくなると赤色になる、と原作されており、いろいろな解釈がなされている。しかしティファニーに行くと、煌びやかで、嫌なことが怒りそうにないので落ち着いてくる。つまりティファニーは現実逃避の象徴として描かれている。

・ユニヨシ(そんな名字は存在しない)は偏見のある日本人観として描かれているが、今では差別的な表現(メガネ、出っ歯、つり上がった目)と言われており、監督も演者も公開していると話している。

・原作ではポールという作家志望の男は「私」であり、彼からの主観として物語が描かれている。そのため、ポールがいない場面は本来は無い。カポーティ自身をモデルにしている。

・原作では、「私」、ポールはゲイであることが示唆されており、カポーティ自身もゲイであった。

・オードリー演じるホリーは何をやっているかよくわからない女性として登場する。たくさんの男性を相手にしてお金を稼いでいるが、高級コールガールのようなもではなく、冒頭でものぼせてしまっている男性をあしらっているように見える。これはカポーティは「ゲイシャ(芸者)のようなもの」と説明しており、つまりは恋人を演じたり色恋話をすることで男性からお金を得ているキャバクラのようなもの。

・カポーティは文壇の社交界に出入りしていたので、金持ちのパーティーにいるそういった「パーティーによくいるが、何をやっているかわからない女性たち」をモデルにしており、特定の人をモデルにしているわけではないとしている。

・カポーティは映画「キャバレー」の原作者クリストファー・イシャーウッドと友人であったが、イシャーウッドもゲイであり、プロットが「ティファニーで朝食を」に似ているので、この原作(「さらばベルリン」)を参考にして「ティファニー~」も書かれたと言われている。「さらばベルリン」も、自由奔放な女性サリーとゲイの作家志望が同じアパートに住んだことから始まる友情の物語となっている。

・「キャバレー」は1971年に映画化されたため、主人公をゲイとして描いているが、1961年の「ティファニー~」は1968年にヘイズコード(アメリカ映画の強力な自主規制)が解かれる前なので、ゲイを描くのはタブー視されていた時代である。そのため、この映画でポールはゲイとして描かれていない。

・しかし、劇中、ポールはホリーが裸同然の格好をしていたり、ベットで抱きついてきても動じない(原作にもある描写)、2人でストリップショーを観に行っても退屈にしている描写があり、原作ではゲイであった痕跡も見られる。

・ホリーはルラニーとして南部アメリカで14歳で結婚していたことが判明する。法的は結婚できないが、当時は南部の田舎では少女妻ということものは存在した。カポーティはこの部分はマリリン・モンローをモデルとしたとしており、彼女自身も田舎から出て大女優になった経歴の持ち主なので、映画の主演をマリリン・モンローにしようとしていた時期もあったという。

・ホリーはポールに弟の名前で「フレッド」と呼ぶが、このことは彼が恋愛対象ではなく、「弟のようなもの」であることが示唆されている。ここからも原作は恋愛ではなく友情がテーマとなっていることがわかる。

・原作は1941年を舞台にしているので戦時中だが、映画では1960年代になっているので、弟のフレッドは戦争で死んだのではなく訓練中のジープの事故で死んだことになっている。

・ショップでホリーとポールが万引きをするシーンは、彼女が貧しいたきに弟とそうやって生きてきたので、彼女のノスタルジックなものの象徴となっている。

・劇中では、ポールはホリーがブラジルに行くのを止め、雨に濡れた猫を探して拾い上げて終わるが、原作ではまったく逆で、ホリーは自由を謳歌してブラジルに飛び、猫は他の家に飼われて楽しそうにしている。これでは「原作と違う展開」どころか、作品のテーマは逆になり、しかも友情ではなく恋愛の話になっている。そのため、映画を観たカポーティは逆上したという。
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