手に入るものはいつだって無価値で、届かないものほど愛おしい。
赤く沈む気持ちが本質的に晴れることはない。でも少しだけ忘れられる瞬間だってあるはずだ。
最強で最弱な女性と出会った。
彼女に会った男性は皆んな虜になる。
美しく奔放で追いかけたくなる。
手に入らないことの魅力。
しかし、彼女もまた満たされない。
孤児で荒れた過去を断ち切らせてくれた、愛情の深い旦那もいる。
私を美しく彩ってくれるお金持ちの男性はたくさんいる。
けれども、手に入らない何かがあるから、今日も赤く沈む気持ちを癒すためにティファニーで朝食を食べに行く。
同じアパートに越してきた男性は、戦地に派遣された、唯一の血縁者の弟に似ていた。
何者でもない猫みたいな彼女に群がる鼠達とは何かが違う。
ティファニーでしか補えないはずの、赤く沈んだ気持ちが少しだけ晴れたような気がしていた。
それがきっと手に入れたかったもの、
なのであろうか。
理想と現実を考えた時、全てが理想通りの人なんていない。
だから、映画の中くらい美しくあるべきなのかもしれない。
けれども僕は、この映画のラストシーンが苦手だ。
二人が結ばれることは、ラブストーリーであれば当然のことなことである。
ある種、そうなってくれと鑑賞している自分もいる。
ただ、完全に満たされないからこそ、奔放に生きる彼女の、弱くも強い姿に惚れ惚れしていた観客としては、彼女に負けて欲しくなかった。
作家のポールは、彼女を所有したいなどと思ってしまった段階で、鼠でしかなく、手に入れたいと思ってしまったのだから、手に入らないべきだろう。
とはいえは、やはり映画。
原作では奔放な彼女は奔放なままであるというし、ここは映画、美しい世界を作りましょう。
いや、最後まで一人で強くいられないのが人間と考えれば、こちらの方が現実的か。
僕は、もっと映画に夢を見たかったのかもしれない。
そんなことは差し引いても気持ちの良い色味と撮影、音楽で、素敵な映画でした。