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自転車泥棒のKHのレビュー・感想・評価

自転車泥棒(1948年製作の映画)
3.5
父親の虚勢を張った姿も、機転の効かない不器用な所も、ラストの盗みに手を染めようとするあの後ろ姿も、全てのシーンに子どもの無垢な眼差しが介在していて、最後には子供の涙によって父親が救われるなんてあまりに残酷すぎる物語だと思う。だけど子供の無垢な可愛いさだけがこの映画の唯一の救いにもなっている。
敗戦まもないイタリアを舞台として職を求める人ばかりが増え続けるこの時代に、主人公は自転車を盗むという選択を環境に強いられたとも確かに言えるが、自分はこの結末を回避できたのではないかと思う。
作り手が意図しているか別として、自転車を一緒に探してくれたお金を持ってそうな人や周りの人に、主人公がもっと頭を下げて助けを求める事ができたなら(自転車やお金を借りるなど)、子供の前で罪を犯す姿を見せなくて済んだのではないかと考える。環境の貧しさだけでなく、主人公の人としての心の貧しさによっても、このラストに繋がったのだと思う。
また映画的には最初に題名を「自転車泥棒」とみせて、自転車を盗まれるところから始まり、物語が進むにつれ次第に主人公が自転車を盗むのではないかという不穏な空気感が漂っていく様は上手だなと思った。
「自転車泥棒」はチャップリンの「キッド」に大きな影響をを受けているらしいく、この2作品は同じくらいの悲劇的な出来事が起こっているが、ドキュメンタリータッチに描くか、過程を喜劇として描くがで全く作風が変わるのは面白い。
こんな空虚な時代には、もはや教会でも占い師でも何か信じられるものがあった方が、ずっと幸せなんだなと感じた。
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