河

アメリカの影の河のレビュー・感想・評価

アメリカの影(1959年製作の映画)
3.8
ビートニク時代のアメリカを舞台とした、アフリカ系アメリカ人をルーツとする3兄妹を軸とした映画。見た目は兄が黒人で、弟が中間、妹が白人となっており、兄は黒人のマネージャーと共に歌手として活動するが、白人によって歌手であるのに司会をさせられる。弟はトランペット奏者であり、白人たちとつるみナンパしに行っている。妹は小説を書いていて、白人や黒人とデートを重ねていく。

劇中で言及される実存的不安、自分は存在しなのではないかという不安が映画全体を覆っている。3兄妹はそれぞれ日の目を見ない。弟と妹に関しては、それは青年期的な悩みであると同時に、アフリカ系をルーツとしてもつこと、女性であることからも来ている。タイトルの指す影はこの3人のことのように感じられる。

その自分達が社会にとって影でしかないという感覚は野外撮影による映画全体の光の少なさ、全体的にくすんだ画面とも共通する。この映画自体がその影の部分を掬い上げるような映画となっている。

黒人たちが演奏する中白人たちが踊っていて、そこに入れず端っこに追いやられる冒頭のシーンに象徴的に表されるように、弟は白人たちとつるんでいるもののそこに馴染めていない。同時に、兄の持つ黒人のコミュニティにも馴染めない。弟の話す、鳥と遊ぼうとして木に登って落ちて鳥が嫌いになるウサギのジョーク、左折時に車から降ろされそのまま置いていかれるジョークはその弟の感じている疎外感を表したもののように感じられる。そして、最終的に白人の仲間と決別し、1人闇に紛れるように歩く姿で終わる。それは毎晩ナンパする生活の終わりとして、青年期の終わりにもなっている。

妹は映画の中で3人の男と付き合う。1人目の白人と3人目の黒人はそれぞれ女性という役割を押し付けてくる。それに対して妹は反抗するが、1人目の白人と比べて3人目の黒人に対しては見下したような姿勢となっている。2人目の彼氏は白人であり、役割としてではなく人間として互いを尊重したような関係性を結ぶが、その彼氏は黒人に対して差別的な視線を持っていることが明らかになる。妹における物語はアフリカ系をルーツとしつつも白人の見た目を持つ女性と、白人男性、黒人男性との間に発生する関係性の違いを、肌の色、ルーツ、性別の違いを元に描いているように見える。

弟と妹がある種マージナルな存在である一方で、兄はルーツに応じた見た目を持っている。兄の物語は白人にいいように扱われてきた黒人が、黒人間の連帯を取り戻すものとなっている。黒人として黒人コミュニティに属する兄は、兄として弟や妹を助けようとするが、その悩みを真に理解することはない。妹と彼氏とのいざこざを解決するのは、兄ではなく弟である。

明確に抑圧が存在する中で生きられる日常を単純化せず、泥臭さやエネルギー含めてドキュメンタリー的に捉えた映画のように感じる。実際には脚本もあり何度もリハーサルしてから撮られていて、そもそも今見れるバージョンは一度公開された後撮り直しを含めて再編集されたものらしい。ただ、全編即興で撮られたと最後に宣言された時に、実際にこういう人々がいてそれを即興で撮ったんだと感じられるくらい演じられたものだという感覚がない。

画面の1/3ほど近くが暗闇として潰れているセックス後のショット、喧嘩後のショットのくすんだ画面における重々しい動きなど、光のなさによって独特な荒く美しいショットが現れる瞬間がある。そのようなショットが揺れるカメラや多用されるクロースアップと共に、自由に変化する登場人物達の感情と連動するようにモンタージュされるのがすごく良い。

ジョナスメカスが撮り直し前のを賞賛していて、撮り直し後にこの映画の良さがなくなったって言ってるらしく、おそらく弟と妹に明確な物語が与えられたのは撮り直し後なんだろうなと思った。撮り直し前はもっと物語的には曖昧でより単純化がされていない映画だったんだろうなと思う。
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