サマセット7

アメリカの影のサマセット7のレビュー・感想・評価

アメリカの影(1959年製作の映画)
3.9
監督は「こわれゆく女」「グロリア」のジョン・カサヴェテス。
主演は「アリスの恋」「恐怖のいけにえ」のレリア・ゴルドーニ。

[あらすじ]
ニューヨーク・マンハッタンにて。
白人と黒人の血を引く兄弟妹のヒュー、ベン、レリア(レリア・ゴルダーニ)は、享楽的な白人社会の中で、喜怒哀楽を交えながら、肩を寄せ合い生きている。
ある時、レリアは読書会で知り合った白人男性トニーと一晩を過ごす。
しかし、色白のレリアを白人女性と思って家まで送ったトニーは、黒い肌を持つヒューを見て激しく動揺する。
トニーの様子を見たレリアは傷つき、ヒューとベンも複雑な思いを抱くが…。

[情報]
「アメリカ・インディペンデント映画の父」と呼ばれ、俳優としても高名なジョン・カサヴェテス監督の、初監督作。
後のインディペンデント映画全般に強い影響を与えた映画である。
モノクロ作品。

カサヴェテスは、1959年時点ですでにいくつかのテレビや映画に俳優として出演しており、特に1956年「暴力の季節」で注目を集めた。
そのころ、知人と共に演劇のワークショップを開設。
出演する映画の宣伝としてのラジオ出演の際に「リアルな映画を見たい人、出資してくれ」と呼びかけて撮影資金を募り、今作の製作費4000ドルのうち半分を出資金で賄った、という。

今作は、ワークショップで使われていた即興劇のプロットを使用して、全編ロケ撮影、借り物のカメラ、俳優は基本的に無償で参加,という体制で撮影された。

今作のラストには「今作は即興的演出で作られた」との記載がある。
しかし、本当に脚本なしのアドリブで撮られたか、については研究者から疑義が呈されている。
初公開は、より即興性の高い16ミリフィルムのバージョンであった、とされるが、現在広く知られているのは、初版の出来に不満を持ったカサヴェテスが35ミリフィルムで再撮影、再編集して、より映画的に洗練させた第二バージョン、とのことである。
初版と第二版がどちらが優れているか、については議論がある、らしい。

全編にわたり、即興性の高いモダンジャズの音が流れる。
演奏はベースをチャールズ・ミンガス、サックスをシャフィ・ハディ。

今作の俳優は、全て同名の役名で出演している。

今作はいわゆるハリウッド型の作り込まれた大作映画のアンチテーゼとして作られた、とされる。
現在でも、インディペンデント映画の名作として、批評家を中心に広く支持されている作品である。

[見どころ]
俳優たちの、リアルな表情、所作、台詞!
50年代末のニューヨークの風景!!
温かみとユーモアを醸し出すモダンジャズ!
それらが合わさり、豊かな情感をもたらす!

[感想]
味わい深い!!

ストーリーは、3人の兄弟妹それぞれを追う形で進む。
黒人歌手として、誇りに見合った舞台を与えられない兄ヒュー。
悪友たちとふざけ合いながら、だらだらと怠惰な生活を送る弟ベン。
そして、自立した女性を夢見る妹レリア。

それぞれの、繊細な心の動きを、よりリアルに描く、というのが今作の趣旨であり、ニューヨークでのロケ撮影、モダンジャズ、即興性の高い演出やセリフ、役名といった全てが、リアリティに奉仕している。

トニーと一夜を過ごしたレリアの茫然とした表情!!!
ヒューの肌の色を見たトニーの顔!!
レリアを心配そうに見つめるヒュー!
トニーと対峙した後のベンの所作!

なるほど、監督の演習意図はハイレベルに成功しているように思える。
さすがはカサヴェテス監督。
後世の人々の崇拝を集めるわけだ。

リアリティの追及というテーマゆえに、計算された盛り上がりとか、巨大なカタルシスを味わえる、というタイプの映画ではない。
実生活の中に、ドラマのような展開なんて、そうはない。
ありふれた人々の、ありふれた喜怒哀楽。
だからこそ、じんわりと染み入るように感じられるのだろう。

面白いのは、全編にわたって、ユーモラスな和気藹々とした感じが伝わってくることだ。
これは当時のニューヨークの空気感か。
俳優陣の個性からくるのか。
苦しい展開も、ユーモアと共に笑い飛ばして生きるしかない、というのは、ある意味でリアルだ。

1時間20分と短いため、比較的見やすい作品ではある。
とはいえ、刺激過剰な昨今のハイコンテクストな作品に慣れた身からすると、なかなか他人にオススメはしにくいか。
今となっては、名作を踏む義務感に駆られて観られることが多い作品かもしれない。

[テーマ考]
今作の製作上のテーマは、ハリウッド的な虚構ではなく、「リアルな人間の感情の機微」をフィルムにおさめることそのものにあろう。
ストーリーはあくまで、人間の揺らぎを見せるためのツールである。

とはいえ、今作で描かれるリアルな人間模様自体、今見るとなかなか示唆的である。

今作は男女のリアルを描く作品だ。
トニーとレリアの関係は、男女の本質を抉るようでもある。
男女の肉体関係に関する幻想と、味気ない現実!
肌の色で左右される、「好き」という言葉の薄っぺらさ!
トニーに限らず、レリア関連の男たちのセリフは、彼らの女性観の歪みを際立たせる。
一方で、ベンのたどる、イキリとノリと軽薄の混じり合った、オトコグループあるある展開は、男性性の脆弱さを浮き彫りにする。
その鋭さは、後のフェミニズム映画を先取りしたかのようだ。

今作は、人種差別のリアルを描いた作品でもある。
肌の色に関する差別が、一見進歩的な男性であっても、無意識領域にまで刻み込まれていることを露わにするシーン!
50年代後半から60年代前半は、公民権運動を背景に、「12人の怒れる男」「アラバマ物語」など、人種差別をテーマにした映画も見られるようになってきた時代だ。
しかし、これらはあくまで白人視点で、白人が黒人を「助けてあげる」作品だ。
今作のように、アフリカ系アメリカ人の視点から、リアルな人種差別を受ける様を描いた作品は、まだ珍しかったのではないか。
「ちょっとした人種問題さ」というヒューのセリフの、リアルな響き!!

いずれも出資者の顔色を見たハリウッドメジャーには描けない、インディペンデント映画ならではの社会批評の鋭利さが見られる。
この姿勢こそが、後のインディペンデント映画に甚大な影響を与えた、インディペンデント・スピリット、というやつかもしれない。

[まとめ]
インディペンデント映画の父、ジョン・カサヴェテスの監督デビュー作にして、人間の感情の機微を描き出したインディペンデント映画の名作。

3人の兄弟妹それぞれ演技が素晴らしいが、ヒューのマネージャーであるルパートやベンの悪友たちも良い。
彼らの無意味とも思えるくだらない会話、それこそがリアルで、ハッピーで、その連なりで人生はできている、ということかもしれない。