映画漬廃人伊波興一

デッドマンの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

デッドマン(1995年製作の映画)
4.4
毎年、秋の夜長には無性にふたつの(観たくなる活劇)

ジム・ジャームッシュ
「デッドマン」
コーエン兄弟
「トゥルー・グリッド」

この(観たくなる活劇)というのは、切羽詰まった格闘や殺戮をいかにも本物らしく見せるとか、大掛かりな仕掛けで自動車や飛行機、オープンセットを大炎上させるとか、あるいはCG技術を駆使して重力の法則を忘れさせるといった偽物性を最大限まで拡張する事で人の目を奪う事が、すべからく活劇の真価と勘違いしているような類いのものでは勿論ありません。

例えば悪役がまがいものの血を出してむごたらしく死ぬ場面は一見の価値ある場合があったとしても、それを見せられる事自体は、少なくとも映画を観る悦びでは無い筈です。

もしそこに映画を観る悦びを感じる人がいるとすれば昨日今日映画を観始めたばかりの若かりしローティーンの映画観客か、普段映画そのものにあまり関心がない抽象的な観客だけだと思う。

俳優の肉体による見せかけの闘争も、武器類の見せかけの使用も、見せかけの勝ち負けも、見せかけの死も、それら全ては、劇中に現れる複数の人物たちの純粋なまでに個体化した行動の裡に、互いの強さの度合いとして装填された時初めて繰り返し(観たくなる活劇)の要素となり得るからです。

そして劇中人物の純粋なまでの行動というものは、1本の映画の中で、一貫した体系を創造していくに従い、必ず中枢的な、あるいは運命的な強さを確保していきます。
このジム・ジャームッシュの「デッドマン」とコーエン兄弟「トゥルー・グリッド」。
片や、ただ単純に逃げる。
片や、ただ単純に追う。
山色月影の裡に浮かんでくるこのふたつの所作が、私たちの知覚をただ単純に揺さぶるのみです。