喜連川風連

火垂るの墓の喜連川風連のレビュー・感想・評価

火垂るの墓(1988年製作の映画)
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戦争という状況を通じて、14歳と4歳が「社会」に投げ出される。

作品全体に貫かれる「働かざる者食うべからず」の精神。

これを残酷と捉えるかリアルと捉えるか。殴られた清太を警察は助けるものの、決して生活の面倒までは見ない。

農家のおじいさんも、金銭や着物に対して食料を提供するものの、それ以外は自分で食べていくことに必死だ。

清太以外の男や女たちは皆、労働に従事し、食い扶持を得ている。海のシーンでも塩を作ることに専念する親子をバックに海で遊ぶ清太と節子。

隣組に入らず、勤労労働もせず、居候として部屋に居着く。これに対して、小言を言う叔母であるが、清太はそれに反抗し、家を飛び出す。

だが、それは子どもが持つ世間への甘い見通しに過ぎず、生活はすぐに破綻する。

それでも清太と節子が新しい生活を始めた初夜、叔母から小言も言われず、好きなものを好きな時に食べられる幸せを噛み締める。

彼らのかりそめの生活、甘い希望であることを暗示するように、部屋では蛍が儚い光を放ち、満足そうな清太と節子を照らす。

だが、蛍は1日で死んでしまった。

そんな理想に焦がれ、生活や社会から逃げたものの末路。その結果、清太は節子を死なせてしまう。それを清太が悔やみ続けている悔恨の映画。

火垂るの墓。今風に言えば、厨二病が否応のない現実を突きつけられる映画なのかもしれない。

節子が鉄棒の前でこらえていた涙を流すシーンが白眉。

すぐには泣き出さず、こらえてきたものが溢れ、しゃがんで我慢するように泣く。思わず鳥肌が立った。

戦争や社会の危機は1番弱いところにしわ寄せがいく。それを残酷に露わにする。
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