世人無頼漢と称する者、必ずしも無頼漢に非ず。善良高潔なる人格者と称せられる者、必ずしも真の善人に非ず……。
冒頭、字幕で本作のテーマである上記の言葉が出る。
当時まだ23歳だった阪東妻三郎が自身のプロダクションを立ち上げて作った一作目がこの『雄呂血』。
阪妻他、スタッフもみな二十代と若い才能が結集したせいか、社会の理不尽さに憤る若者の心情を代弁するかのような熱いパッションに満ちた傑作だった。
最初は『無頼漢《ならずもの》』というタイトルを予定したが検閲からNGをくらってしまい、仕方なく、無頼漢=大蛇のように忌み嫌われる人ということで付けたのがこのタイトルだという。
阪妻扮する正義感の強い若侍が良かれと思ってやったことが仇となり、門閥を破門され、好きだった女性からも嫌われ、挙げ句の果てには藩からも追放されてしまう。
失意の中、流浪の旅に出た阪妻だったが、またもや正義感から起こした行動が誤解されて、役人に召し捕られる。
二か月のちに彼はシャバに出たが、牢屋の中で知り合った盗人と懇意になり荒れた生活を送るようになる。いつしか町人はそんな阪妻を《無頼漢》と呼び、彼のことを忌み嫌うようになった。
阪妻は初恋の女に似ていた茶屋娘(演:森静子)に好意をよせるが、彼女は阪妻を怖がり近づこうともしない。
それを横で見ていた仲間の盗人は阪妻に、娘を誘拐して手籠めにする手筈を整えるから今度の盗みの手伝いをしてほしいともちかける。
その頃にはすっかり自暴自棄になっていた阪妻はこの悪魔の囁きに心が揺れ動いてしまうのだが……。
というあらすじ。
70年代にアメリカのニューシネマでやっていた内容を、それより五十年も前に既に日本でやっていたということが驚異。
最後の最後で阪妻の怒りか爆発し、伝説となったラストの大立回りシーンへと展開していく。
この剣戟シーンは阪妻の体技の凄さもさることながら、俯瞰撮影による長回しや、細かいカットを高速で繋いだモンタージュ手法を駆使するなど映像テクニックにも目を見張るものがあった。
そして鬼気迫る演技というのはこういうことを言うんでしょうね。
ラストの阪妻の演技も凄かったけど、阪妻に手籠めにされそうになる森静子が必死に懇願する演技も真に迫っていた。
■映画 DATA==========================
監督:二川文太郎
脚本:寿々喜多呂九平
製作:牧野省三
撮影:石野誠三
公開:1925年11月20日(日)