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鉄男 TETSUOのotomisanのレビュー・感想・評価

鉄男 TETSUO(1989年製作の映画)
3.9
 超高純度鉄は生き物の体によく馴染むそうで犬っころのごとく結構、だが鉄男の鉄は永年のヒトと鉄とのお付き合いでお払い箱になったあばずれ鉄。二十世紀末間近になってやっと付喪神が取り付いたような若い暴力鉄だ。
 ところが、どうやら彼の暴力革命は大概の現役世代の鉄の共感を呼ばないらしい。そこで起こるのはとりあえずヒトに取り付いてさてどうしようかな?

 すると、このヒトというのが厄介なヤツで、第一号「ヤツ」に次いで第二鉄男、第三鉄女、第四鉄女と身体を乗っ取る度に互いにケンカかナニを始めるという始末。
 なにぶん生体内部では酸素運搬業しか携わってこなかったプロレタリアートだもんで、「人情」の機微に疎く、交通事情にも暗く、まして男女の情交に至っては羨ましい限り、何しろ鉄にはNS以外の極性がなく、こいつは常に背中合わせ、交接なんぞ想像もできない仕組み。

 そこで迎えた決勝戦は図らずも「ヤツ」対「第二鉄男」で交通事故の被害者と加害者にして、やりまくってんじゃねーよ対やれるもんならやってみな、という構図だ。
 唯一のスポンサーはさすがは鉄で自由電子がブラウン管経由で二人の馴れ初めの衝突から面前交接事件までを再現放映して盛り上げてくれるという寸法。途中、謎の浮浪蓮司のアトラクションなんか交えてワケが分からなくなるが、そこは絶対矛盾の鉄同一、内ゲバを収めて、「普通より大きいサイズの怪人」に格上げしてノーゲーム、宇宙大の誇大妄想を燃やして走り出すのもいい気持ち。
 15の夜から抜け出せないような、とりあえず走れな感じの解放感を自由と誤解するかおもしろいと思うか不可解さで死にたくなるか、結局鉄は体内を駆けまわるくらい生き物が好きで人がうらやましくて仕方なく錆び殺したいのかもしれない。これじゃスポンサーも降りたくなるだろう、よって"GAME OVER"
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