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おじいさんと草原の小学校のLCのレビュー・感想・評価

おじいさんと草原の小学校(2010年製作の映画)
4.3
面白かった。

痛い場面が少々あるけれど、察知できるように作られているので、苦手でも回避しながら見ることができる。
そして、ケニアの歴史を知らなくても、かつて何があって、その結果どうして主人公が学校へ通うことを望んだのかも理解しやすい。

拷問というものは、暴力によって何かを聞き出す為だけに使われるわけではない。
要求を飲ませる為、果ては単に恐怖心を植え付ける為だけに使われることも往々にしてある。無力感を与え、行動することはおろか、声を上げる気力すら殺す。
本作の主人公が何故、そのような過去を背負いながらも、行動に移すエネルギーを持てたのか。彼には無力感に支配されない強さがあった。
主人公以外にも圧をかけられる人がいる。その人も、屈しなかった。それは何ゆえに成せたものなのか。

本作は、勉強というものに対する工夫や楽しみの持たせ方も垣間見ることができる。
主人公の読む能力を見る場面では、「 m-a-t 」の各文字を繋げて「 mat 」と読む際、「エム、エイ、ティー」と確認していない。だからこそ、彼は各文字を繋げて「エムエイティー」と発音せず、「マット」と発音できた。各文字が実際に言葉を形成する時に使われる音、そちらを教えてもらっていたからだ。この学び方は、実はどこの国の人にも有効である。
また、文字を書くと反転してしまう、所謂鏡文字に苦しむ少年も出てくる。これは「目で見て特徴を捉える能力」に原因があると考えられているが、つまりは脳の認知構造の問題だ。本人がどれだけ気を付けても、それだけで解決することは難しい。
主人公は、「5」の形を少年にもわかりやすい方法で伝えている。目でよく見ろ、ではなく、頭の中にイメージして、一緒に歌ってみて、と。これも、少年のような人にとって、実はとても効果的なアプローチである。

子どもたちが一丸となって声を上げる場面は、きっと主人公にとって何より未来への希望を抱ける瞬間だったのではないかと思う。
無力に思われる存在だって、声を合わせれば、望まない先生の授業を無理矢理受けさせられることを回避できる。ひとりひとりの持つ強さを改めて実感できた場面かもしれない。どんな立場にいたって、声を上げること、伝えることは、大切だ。
同じ学ぶ立場の者として、歴史を背負う者として、はるばる大人たちへ声を届けに行った主人公の言葉が、力強くないわけがないんだね。

歴史を忘れずに、それでも前へ。
人生、死ぬその瞬間まで、何だって学び続けていける。学ぶ機会を獲得する喜びを噛み締める。
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